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呪遣いの妻 08

 翌朝、おれは、函館に行くときに買った水色のワンピースを着て、屋敷で迎えの車を待っていた。
 妻が「そんなかわいらしいワンピース、どうなさったのですか?」と訊いてくる。どう見ても、小娘が以前から持っていたような服ではない。おれは「秘書に無理矢理買わされた」と答えておいた。妻は、「まあ」と驚いて見せたが、多分、秘書たちにその真偽について確認して回るようなことはしないだろう。もしも、おれがこのワンピースを自分で買ったなんてことを知られたら、妻はきっと、おれが女の子でいることを楽しんでいると思うに違いない。そんな風に思われるのは、おれに取っては屈辱だった。
 おれは、興味深げに笑顔でおれのことを見守っている妻の視線を無視して、ポシェットに携帯電話や財布を入れて、肩にかけた。
 迎えの車は8時にやって来た。
 真っ赤なフェラーリ。乗っていたのは、昨日のイケメン秘書だった。ただし、今日はスーツ姿で決めているのではなく、ポロシャツをラフに着こなしている。
 おれは、今の自分の格好をちょっと後悔した。このイケメンが運転するフェラーリの助手席に乗るには、今のおれの格好は子供っぽ過ぎた。やっぱり、もうちょっと大人らしい服を昨日のうちに買っておくべきだった。昨夜は、仕事が遅くなったので「まあいいや」と思って買いに行かなかったのだ。こんなことなら、副室長との打ち合わせをずらしてでも買い物に行けばよかった。
「いってらっしゃい」
 妻に見送られて、フェラーリの助手席に座る。おれは、車には特に興味がないので、こういったスポーツカーには乗ったことがない。おれに取って車とは部品がすべてであり、その部品をどのように作るか、いくらで作るかにしか興味がない。自分で運転するときも、国産の高級車がほとんどだった。いつも、付き合いのある自動車メーカーから頼まれて買うだけで、車種のこだわりなど何もなかった。
 左ハンドルの車など乗ったことがなかったので、右座席なのに、ハンドルも何もない風景にはものすごく違和感があった。車高が低いのと、おれの体が小さいために、目線が恐ろしく低くなっていて、大したスピードを出しているわけではないのに、かなり怖い。まるで、地べたに座ったまま景色が流れていくような感覚だ。
「凄い車ですね」
 取りあえず、そう言うと、彼は、困ったように笑った。横顔も悪くない。
「社用車ですよ。ぼくのじゃありません。元々は前の社長が乗っていたものらしいんですけどね」
 前の社長というと、今の女社長の元の夫だ。浮気がばれて、離婚する際、会社を取り上げられたと聞いていたが、この車もそのときに取り上げられたものだったのだろう。このイケメン秘書は、今の女社長になってから採用されたので、前の社長についてはよく知らないのだ、と言った。
「こういう車は、社長の趣味じゃないので、社長が乗ることはないんです」
「そうなんですか」
「だって、あの人、車の助手席に乗るタイプじゃないでしょ」
 それはそうだ。助手席というよりも、お嬢さま然として後部座席に鎮座する、というタイプだ。免許を持っていないので、自分で運転することもないという。
「それよりも、驚いたのはこちらの方ですよ。立派なお屋敷ですね。仕事柄、和風のお屋敷や今風の豪邸は何度も見ましたけど、ああいう古い洋館のお屋敷は、はじめて見ました。お見送りに出てらした方は、お姉さんですか?」
 どうやら、彼はこちらの素性については聞かされてはいないらしい。多分、地図か何かを渡されて迎えに行くように言われただけなのだろう。
「あの人は、社長の奥さんです」
「え? 社長の。――ああ、あの人がそうですか」
 彼の中で何かを納得したらしい。「社長」が若い妻をもらったばかりだというぐらいの予備知識はあったのかもしれない。
「あたしは、あの家に置いてもらっているんです」
 詳しい事情は言わずに、それだけ言った。それで、彼はおれのことをどう思っただろう? 
 元々、住み込みで働いていた家政婦だ、と言えば、社長のお手つきで愛人になった女だと思われただろうが、そこまでのことを彼に言う勇気はなかった。
「そうか。あなたのことを心配そうに送り出していたので、お姉さんだとばかり思っていました。どっちにしても、やさしそうな奥様ですね」
 そう見えるか? まあ、確かに、妻は初対面の人間に対してボロを出すような女ではない。
 車は、朝の渋滞の中をゆっくりと走る。おれは、ほとんどの間、彼の端正な横顔の輪郭を眺めていて、車がどこを走っているのか、わからなかった。時折、信号待ちで停止すると、彼は助手席の方を見て、おれに話しかけてくれた。
「その、ワンピース、かわいいですね」
「え?」
 突然、そう言われて何も言い返せなかった。
「あなたに凄く似合ってます」
「あ、ありがとうございます」
 慌ててお礼を言った。口調がこころなしか速くなってしまった。
「ポシェットも、かわいくて、よく似合ってますよ」
 彼はそう言って、おれが肩からぶらさげているポシェットもほめてくれた。ほめられたのは嬉しいが、「ポシェットも、かわいい」ということは、やっぱり、子供としてしか見てくれてないんじゃないかと、ちょっと不機嫌になる。
 おれは、彼の横顔を見つめるのをやめて、前を見た。
 車は、おれの知らない道を通っている。おれは、自分で車を運転することも稀なので、会社と自宅と実家のあった町工場周辺以外は、東京の道路には詳しくない。
「あの。どこへ向かっているんですか?」
「ああ。もう少しで着きますから。今、向かっているのは、うちの会社が所有するビルです」
 十指に余る会社を次々と買収している会社だ。所有するビルの1つや2つぐらいあるだろう。
「そこへ行って、何をするんです?」
「それについては、向こうについてからのお楽しみとさせてください。――なんて言うと、不安ですよね。でも、心配しなくていいですから。別に、あなたを取って食おうというわけではないので」
 今日の目的については、知らないわけではなさそうだったが、彼は教えてくれなかった。
 やがて、車はとあるビルの地下駐車場へと入っていった。
「さあ、こちらです」
 イケメン秘書にエスコートされて車を降りる。そこそこの大きさはあるが、そんなに新しいビルではなさそうだった。エレベーターに乗る。ボタンは8階まであったが、彼は、「6」の数字に触れた。
 6階でエレベーターを降りた。オフィスビルによくある造りの廊下を歩く。イケメン秘書がドアが開け放しになっている部屋に入っていき、おれもその後に続いた。通り過ぎる際に、ドアに書かれている会社名を見ようとしたが、カタカナの長い文字列の中に「スタジオ」という文字をかろうじて認識できただけだった。中には小さな受付のようなスペースがあったが、席には誰も座っていなかった。彼は、勝手知った風で、その奥にあるドアをコンコンと叩き、中からの返事も待たずにドアを開けた。
「課長、お連れしました」
 おれが連れてこられた部屋は、外の廊下の地味さ加減とは正反対。贅沢そうな調度品にふかふかの絨毯。まるで、どこかのお屋敷の応接間といった感じの部屋だった。
「あ、あの……。ここは?」
 部屋の中には、50歳ぐらいのおばさんと、若い女が2人。さっき、イケメン秘書が「課長」と言っていたから、このおばさんが女社長が小さいときから仕えているという秘書課長なのだろう。だとしたら、あとの若い女は何だろう? この2人も秘書なのだろうか。服装を見る限りでは、気取らない服を隙なく着こなしているという感じで、秘書というよりも、ブティックの店員という感じだった。
「それじゃ、課長。ぼくはこれで引き上げますので」
 そう言って、イケメン秘書が踵を返そうとする。
「帰っちゃうんですか」
 今日は、ずっと一緒にいてくれるんじゃなかったのか。
 おれは、無意識のうちに、彼に向けて手を伸ばした。帰ろうとしていた彼は、振り向いて、おれの伸ばした手を掴む。
「後で、お迎えに上がりますよ。お嬢さま」
 彼は、おれの目を見つめて、そう言った。おれの心臓が、どきんと鳴った。
「本当に?」
「はい。必ず」
 そう言うと、彼は、おれの小さな体を抱き寄せると、おれのほっぺに、軽くキスをした。
「!」
 おれは、何が何だかわからなくなって、その場で立ち尽くした。


「――」
 耳元で声がする。女の声だ。誰かが呼ばれているようだ。
「――さん」
 ああ、そうか。呼ばれているのは、小娘だ。
 ――。小娘?
(あ――)
 呼ばれているのは、小娘の名前。つまり、おれだ。
「あ、はい」
 慌てて答えた。
「ああ、よかった。気が付いた」
 見ると、目の前にさっきの秘書課長のおばさんがいる。
「びっくりしたよ。あの子にキスされたら、そのまま動かなくなっちゃうんだから」
「え?」
 そう言えば、さっき、イケメン秘書にほっぺにチュッとされたような気がしたが、その後のことは憶えていない。
「あの秘書の人は?」
 いつの間にか、彼の姿が消えていたので、そう尋ねた。
「彼なら、帰ったよ。あんた、彼にキスされてから、1分ぐらいそのまま突っ立ってたからね。久しぶりに見たね、男にほっぺたにキスされて固まっちゃうような初心な女の子は」
「そりゃあそうでしょ。あんな王子様顔の秘書さんにキスされたら、あたしだってぼーっとしちゃいます」
「ていうか、あたしも王子様にキスされたい」
 一緒にいた若い女2人が囃し立てる。
 ちょっと待て。ということは、何か? おれは、さっきイケメン秘書にほっぺにキスされて、そのショックで我を忘れて立ち尽くしていたと……。
「課長さん、この子のさっきの顔、見ました? 恋する乙女ですよ、乙女。あたし、久々に乙女を見ました」
「ああ、若いっていいわあ。本人は隠しているつもりなのに、周りにはバレバレの恋心」
 しかも、この2人の間では、おれがさっきのイケメン秘書に恋してると思われている?
 そんな、馬鹿な。ありえないだろ。おれは、男だぞ。今は少女の体だが、中身は完璧に男だ。男のおれが、男に恋するなんて、あるはずがない。そりゃあ確かに、イケメンでいい男だとは思うが。
「はいはい。あんたたち、喋っとらんと、仕事に取り掛かって」
 秘書課長のおばさんが、妙にテンションが高い若い女2人に向かってそう言った。おばさんの方が秘書課長だというのはわかったが、あとの2人は何者なのだろう?
「あんたも、時間がないんだから、ちゃっとやっちゃおう」
 このおばさんの喋り方は、イントネーションが微妙に違う。女社長は名古屋の資産家の娘ということだったので、多分、この女も向こうの出身で、名古屋弁で話しているのだろう。
「え、ええっと、あたしは何をすれば……」
「説明は後でするでね。まずは、隣の更衣室に入って」
 若い女2人が「こっちでーす」とおれの手を引いて、隣の部屋へと向かう。更衣室だと言っていたので、ロッカーが並んでいる部屋を想像したのだが、全然違っていた。基本的に、さっきの応接室と変わらない絨毯敷きの部屋だったが、調度品の類がほとんどなく、代わりに、女物の洋服がずらりと吊るされていた。
「はよそのかわいらしいワンピースを脱いで」
「ぬ、脱ぐんですか?」
「なにい。恥ずかしいの? 女同士だで、恥ずかしいことあれせん」
「は、はあ」
 おれが躊躇っているとあとの2人が寄ってきて、有無を言わせず、脱がせにかかる。
「ちょ、ちょっと」
 抗議しようとしたが、無視された。
「はい、おとなしくして」
「ばんざーい、しましょ」
 子供の服を脱がせるみたいに、あっという間にワンピースを剥ぎ取られて、おれは、下着姿になった。
「あれ。かわいい下着だがね」
 今日の下着は、昨日のピンクのかわいらしい下着の色違い。ワンピースよりももう少し淡い水色で、上下お揃いのものだ。同じように胸の前に大きなリボンがついている。
「採寸するから、ちゃんと立ってね」
「こらこら、胸とか隠さない。手をまっすぐ伸ばして」
 おれは、体のあらゆるところにメジャーを当てられ、採寸された。なんだ? おれの服でも作るつもりか?
「どう?」
 それを黙って見ていた秘書課長のおばさんが訊く。
「背丈はほぼ一緒です」
「この子の方が脚が2センチ長いかな」
 なんだかわからないが、どこかの誰かとおれの体が比べられているらしい。
「その2センチで問題あるの?」
「洋服着ればわからないから大丈夫です」
「歩き回ったりしなければ問題ありません」
「他は?」
「足のサイズがこの子のが1.5センチ小さいです」
「こちらも、歩き回らなければ大丈夫です」
「靴は用意した方がいいかねえ」
 秘書課長のおばさんが腕を組みながらそう言った。
「あとは?」
「腕はぴったり同じ長さでした」
「胸はこの子のが小さいみたいですけど」
 余計なお世話だ。
「うーん」
 2人がおれのブラのリボンのあたりを見つめている。おれは、恥ずかしくなって、両手で胸を隠した。
「念のため、こっちも測ってみましょう」
 そう言うと、1人が背中に回って、おれのブラのホックをはずした。
「ひゃぁっ」
 思わず声が出た。
「思ったとおりです」
「こんなことだろうと思っていました」
 何がだ?
「この子、相当胸が小さいです」
「というか、ほとんどありません」
「あの大きなリボンの謎もこれで解けました」
「あれは、少しでも胸を大きく見せようという努力の現われだったのです」
 う、うるさいっ。
 結局、2人にブラを剥ぎ取られたおれは、胸のサイズもしっかり採寸された。
 こら。数字をそんな大きな声で言うんじゃない。
 頼むから、紙に書いて記録に残さないでくれ。
「で、結論としては、用意した服は使えそうなの?」
「大丈夫です。背丈と腕が同じですから」
「念のため、長めのスカートを追加で持ってきましょうか。あと、サイズの小さな靴も」
 秘書課長のおばさんが「そうして貰おうかねえ」と言うと、若い女の1人が携帯で何やら話しはじめた。「店にあるスカートを全部持って来て」とか言っているところを見るとこの2人、本当にブティックの店員みたいだ。
 剥ぎ取られたブラをつけ直しているときに、秘書課長のおばさんの携帯が鳴った。
「ちょうど、お嬢さまがいらしたみたいだわ。これからすることは、お嬢さまから直接聞いてちょ」


 更衣室で再び水色のワンピースを着たおれが応接室に戻ると、IT企業の女社長が、応接間に入ってきたところだった。
「うわーっ。やっぱりかわいい。あたしの思った通り」
 彼女は、おれと顔を合わせるなり、黄色い声を上げると、いきなりおれに向かって近寄ってきて、おれの体を抱きしめた。見た目、女子高生でも通りそうな彼女は、女の子としても小柄な方だと思うが、それでも、今のおれよりはいくらか背が高い。上から包み込むようにぎゅっと抱きしめられると、彼女のふくらんだ胸がおれの小さな胸の上で潰れるのを感じる。小娘は、妻と同じぐらいの胸だと言っていたが、確かにそのぐらいかもしれない。
 抱きしめられたときに、お互いの頬が触れ合った。彼女は、一度おれの体を離しかけたが、もう一度抱きしめて、今度は頬同士をすりすりと摺り合わせた。彼女の頬はすべすべで、摺り合わせた感触がとても気持ちいい。
「ほっぺたも、すべすべで気持ちいい」
 と、彼女が嬉しそうに言った。どうやら、彼女の方も同じ感想を持ったようだ。
 なんなんだ、このノリは? 見た目だけじゃなくて、これでは中身もその辺の女子高生と同じじゃないか。この女、これで本当に会社経営なんてやっていけてるのだろうか?
「お嬢さま、お茶が入りましたよ」
 秘書課長のおばさんが、いつの間にか紅茶を用意してくれていた。女社長が、名残惜しそうにおれを解放して、取りあえず、おれたちは応接間の真ん中にあったテーブルを挟んで座ることにする。
 おれは、テーブルに向かい合って座っている女社長を改めて観察した。
 今日の彼女は、昨日の女子高生風とは一転して、いかにも「良家のお嬢さま」といった装いだ。ブラウスにも裾の広がったスカートにもフリルがたくさん付いていて、豪華さとかわいらしさを出している。後ろに立っているのは、黒のスーツを着た初老の男性。控えめで、落ち着いた雰囲気を醸し出している。彼が、イケメン秘書が言っていた「一流ホテルを定年退職した年配の秘書」なのだろう。なるほど。確かに、秘書というよりも「執事」という感じだ。彼が後ろに控えていることで、彼女が「良家のお嬢さま」であることに説得力を持たせていた。
 テーブルの席に着くのは、おれと彼女の2人だけ。秘書課長のおばさん自ら、おれと女社長の前に紅茶のカップを置いてくれた。社外の人間とは言え、「社長秘書」に過ぎない今のおれの立場からすれば、こうして「お嬢さま」と向かい合っていられるのは、破格の待遇なのだろう。紅茶と一緒に出された抹茶クリームのプチケーキは、小さいながらも、結構な高級品であるに違いない。
「この子に、あれを見せてあげて」
 おれが抹茶ケーキのすばらしさに顔をとろけさせていると、女社長が秘書課長のおばさんに何かを命じた。
「これは――」
 おれの前に持ってこられたのは、1冊の大きな本。写真集だ。
 表紙には、ピンクのロリータファッションに身を包んだ美少女が、物憂げな目でこちらを見ている。
「社長さん、ですか?」
 そう言えば、この女社長、雑誌に写真が載るだけではなくて、写真集まで出したことがあるという話を聞いたことがある。これが、その写真集か。
「見せていただいてもいいですか?」
「どうぞ。帰りに何冊か持たせてあげるから、そっちの社長さんたちにも配ってあげて」
 いくら見た目が美少女といっても、素人をモデルにした写真集。ポーズや表情が不自然なものだろうと思っていたが、見てみると、殊のほか完成度が高い。表情も、表紙のような憂い顔だけではなく、すまし顔、はにかむようなな笑顔からはじけるような笑顔、果ては、怒り顔までさまざまな表情で映っている。着ている洋服は、ロリータ系が多かったが、女子高の制服と思われるブレザー姿や、お姫さまを思わせるドレス姿、清楚なワンピース姿と意外に様々だ。一番驚いたのは、屋外で撮ったと思われる写真。ヨーロッパの古い街並みが背景になっていたり、洋風の宮殿をバックにしている写真もある。どう見ても、どこかのテーマパークに行って撮ったのではなく、現地まで飛んで撮影したのだろう。
「その本は、元々出版社からお話があって作ったんだけど、あたしの写真が世の中に出回るのに、変な写真は載せられないじゃない。だから、とにかく妥協はしないで、採算なんて度外視して作っていたのね。そしたら、本の値段がとんでもなく高くなっちゃったの」
 写真集の後ろを見たら、6800円となっていた。写真集の相場なんてよく知らないが、たぶん、この値段は、とんでもなく高いのだろう。
「写真集の出来は最高だったんだけど、高いから、売れないって出版社は言ってた。それが、予想の何倍も売れて、結構儲かっちゃったらしいのね」
 そうなのか。しかし、出来がいいとはいえ、6800円もする写真集を誰が買うのだろう?
「それで、出版社が第2弾を出せってうるさいわけ。あたしとしては、写真集なんて、1回出せば充分だと思っていたけど、よく考えたら、最初のは、あたしが1人で写っているばかりだったのね」
 はあ。
「でも、あたしも『お嬢さま』ってイメージでしょ。だったら、あたしにかしずく侍女やメイドがいないと不自然かな、って思ったわけ」
 なるほど、だんだん話が読めてきた。
「それで、メイド役の若い子を、モデルやアイドルやってる子の中から探したんだけど、全然いないの。ようやく1人それっぽい子を見つけたんだけど、実際、服を着せてみると、全然、ダメ。あたしのイメージに合わなくて。こんな子と同じ写真に撮られるのは勘弁して。できることなら、あたしの視界から消えて、ってぐらいに。それでどうしようかと困っていたら、昨日、あの会社でものすごく光り輝いている子を見つけたわけ」
「その子というのは?」
 おれは、答えを予想しながらも疑問を口にした。
 彼女は、その美しく整った顔で少し意地悪そうに笑うと、人差し指を自分の口唇に当て、ほんのり紅くなった指先をおれの方に伸ばした。彼女の指先が、おれの口唇に触れた。
「あ、な、た」
 要するに、おれにこの女社長と一緒に写真集のモデルになれ、ということか。さっき、入り口のところで見た「スタジオ」の文字は、写真の撮影スタジオという意味だったようだ。このスタジオで、今日1日、かわいらしい服を着て、女社長と一緒に写真に納まってほしい、と言われた。
「無理です。そんなの、無理。だって、あたし、素人ですよ」
「いいの、いいの。あなたぐらいかわいい子だったら、立ってるだけで絵になるから。それに、そんなに大変なことを要求してるわけじゃないんだから。あくまで写真集の主役はあたしなの。あなたは、あたしの後ろで、普通に立っていてくれればそれでいいから」
 その言葉におれはちょっとカチンとくる。本来なら、おれとこの女社長は上場会社の経営者同士。対等の関係の筈だった。それが、小娘の姿をしているばかりに、こんな風に言われなければならない。どうせ、大金持ちの一人娘として生まれ育ったこの女からしたら、しがない社長秘書のおれなんて、背景の絵ぐらいの感覚なのだろうが、実際に面と向かってそんなことを言われると、いい気はしない。
 そもそも、主役ではないとは言え、写真のモデルなんて、おれに務まるとは思えない。おれだって、おれの業界では名の知れた社長だから、経済誌に何度か写真が載ったことがある。そのときは、立ってるだけの写真だったのに、カメラマンに散々注文をつけられて、何度も撮り直しになったことを憶えている。それが、今回みたいに、女の子としてかわいい服を着せられて写真を撮られるなんて、できるはずがない。
「ごめんなさい。やっぱり、あたしには、無理だと思います」
 そう言って、お断りすると、女社長は、そのかわいらしい笑顔のままでこう言った。
「あのね、あたしがあなたにお願いしてるのは、それが一番手っ取り早い方法だからなの」
 テーブル越しの美少女の顔が、少しずつおれに近寄ってくる。笑顔はかわいいが、腹の中では何を考えているかわからない、という顔だ。
「あなたがどうしても嫌だといったら、あたしはあなたをうんと言わせるために、手段は選ばない女の子なの。わかる?」
「は、はあ」
「昨日、あなたが来てくれなかったら、敵対的買収をかけちゃうぞ、って言ったんだけど、あれ、冗談じゃないからね。あなたがあたしの言うことを聞けないっていうのなら、あたしは、あなたに命令できる立場を手に入れれるだけなの。あなたの会社ごと買っちゃって、あたしが社長として命令すれば、あなたはあたしの言うことを聞かないといけないでしょ」
 何を言っているんだ、この女は。たかだか秘書1人に言うことを聞かせるために、会社ごと買おうなんて、まともとは思えない。
「あたしの会社は、そんなに簡単に敵対的買収なんて、できないと思いますけど」
 おれは、取りあえずそう言い返してやった。おれの会社の株は、多くがおれと妻の名義になっているし、社員持株会やメインバンクなど、安定株主で大半を占めているので、敵対的買収なんて出来る筈がない。
「あら、意外と気の強いところもあるんだ。ますます気に入っちゃった。でも、それって、あなたの意見でしょ。社長さんもそう思っているのかな?」
「社長も同じ意見です」
 おれの意見なんだから、当然、そうに決まっている。
「そうなんだ。でも、本気でそう思っているとしたから、あの社長さん、意外と大したことないな。昨日、会った感じだと、もっと、出来る人って感じだったのに」
 おいおい。昨日あんたが会ったのは、「おれ」の振りをしているだけの素人の小娘だぞ。おれの意見を否定しておいて、小娘の方を評価するなんて、この女、本当に経営者として大丈夫か?
「まあ、そんなことはどうでもいいけど、やるかやらないか、はっきりしてね。あたしは、今日は1日この撮影のために空けてあるの。あなたが嫌だと言ったら、あたしの貴重な1日は、パー。敵対的買収の話は置くとしても、あたしの会社とあなたの社長の会社が、今どういう関係なのか、あなただって知ってるでしょ。あなたはまだ若いけど、今日は、会社を代表して来てるの。会社の代表者としての返事を聞かせてちょうだい」
 そんな風に言われると、返答に困ってしまう。おれの会社に取っての最大の課題は、今回の電機メーカーへの提案が通らなかったときの事後処理だ。場合によっては、買い集めた株をこのIT企業に引き取ってもらうことになるかもしれない。その場合、この女社長を怒らせることだけは絶対に避けなくてはならない。普通の社長ならば、利を説けば納得もしてくれようが、この「お嬢さま」には、そんなもの、はなから通用しそうにない。
 となると、おれが言うべき言葉は、1つしかなかった。
「わかりました。やらせていただきます」
 おれがそう言って頭を下げると、女社長は、少し満足そうに笑った。
「よかった。やっとその気になってくれて」
 別にその気になったわけじゃない。会社のために、自分が犠牲になる覚悟をしただけだ。
「あ、でも、あたし、本当に素人なんですから、ご期待に沿えるかどうかわかりませんよ」
「いいの、いいの。あなたはそうやって座っているだけでも充分絵になるんだから。そうだ、それじゃ、早速契約だけ済ませちゃいましょ」
 女社長がそう言うと、脇に控えていた秘書課長のおばさんが紙とペンを持ってきた。契約書はサインするだけになっているようだ。手回しがいい、と思ったが、こんなこと当たり前か。
「読んで、わからないとこがあったら、言ってね」
 こちらが負う義務は、今日1日の撮影に付き合うことと、撮影された写真の肖像権の譲渡。ギャラは100万円となっていた。素人の娘に払う金額ではない。最初の写真集のときも、『採算度外視で作った』と言っていたが、こんな素人に大金を払うなんて、今回もそうなのだろう。
 もっとも、100万円という金は、小娘にしてみたら、とんでもない大金だが、おれからすると、はした金だ。この女社長に取っては喫茶店でコーヒーをおごるような感覚かもしれない。
 本当は、弁護士に確認してからサインをすべきなのだろうが、まあいい。これはおれの会社とは直接関係のない小娘の個人的な契約だ。
「それじゃ、ここにサインしてね」
 小娘の名前でおれがサインしてもいいのだろうかと思ったが、サインした。はあ。これで、今日1日、おれはこの恐ろしい女の奴隷だ。
「でも、この土壇場になって、こんな子が見つかるなんて。あなたを見つけたとき、やっぱり、あたしって凄いと思っちゃった。だって、今日の撮影は、ずらせなかったから、また、あたし1人で撮影しなきゃならないってあきらめてたところ、撮影の前日になってこんなかわいい子を見つけられたんだから。やっぱり、あたしって、強い星の下に生まれてるのね」
 そりゃあ、日本有数の資産家の一人娘に生まれたんだから、その時点で強い星の下に生まれてるに決まっている。
 お茶の時間が終わると、早速、撮影開始となった。更衣室に再び連れ込まれ、例の2人にワンピースを脱がされる。
「うわあ。かわいいね、その下着」
 女社長にも、あっさり下着姿を見られてしまった。反射的に胸を隠したが、ふと見ると、彼女もいつの間にか下着姿になっている。「お嬢さま」の下着は清楚な白。ただし、レースの細かい模様が入っていて、小娘が持っていたような無地のとは大違い。なんでこんな細かいところまでわかったかというと、「お嬢さま」がおれの下着を見ようと近寄ってきたからだ。
「折角のかわいい下着なのに、隠しちゃ駄目だよ。かわいいものはもっとみんなで愛でないと」
 そう言って、彼女はおれの交差していた腕を両手で引き剥がした。結構力がある。というより、おれの体が力なさすぎなのだが。
「かわいいリボンだね。あたしもこれ着てみたい」
 多分「お嬢さま」には無理だ。ショーツはともかく、ブラは胸が入らない。おれは、おれの目の前で時折踊る純白のブラに包まれた「お嬢さま」の胸を見て、そう思った。
 撮影のために最初に着せられたのは、メイド服。
 体を入れ替えられた直後に、家政婦として2日ばかり働かされたが、そのときは普段着にエプロンをつけただけで、メイド服なんて着るのは初めてだ。
 応接室の隣が写真撮影用のスタジオになっていた。結構広い空間に、ちょっとした応接間のようなセットがこしらえられていた。そこにロリータファッションに身を包んだ「お嬢さま」が座り、メイド姿のおれが、その後ろに立つことになった。
 カメラマンは、なんとなく、髭面の芸術家タイプの男を勝手に想像していたのだが、実際は、30歳ぐらいの細身の女性だった。そう言えば、さっき見せてもらった写真集も、男がかわいい女の子を見て楽しむような写真集ではなく、女性が美少女を愛でるための写真集という感じだった。男目線ではなく、女性目線で作るために、女性カメラマンが起用されているのだろう。
「後ろの子、体の前で手を組んでくれる?」「もうちょっと右に寄って」「ほんの少し顔を伏せて」
 撮影中、カメラマンの女性から指示が飛ぶが、ほとんどがおれに対する注文だ。ファインダーの中央で、ポーズを決めている「お嬢さま」は、撮影慣れしていることもあってか、ほとんど注文がつなかいが、背景の絵の一部にならなくてはいけないおれには、細かい注文が相次いだ。挙句の果てに「メイド服、もうちょっと薄い色にしよう」と言われ、更衣室まで着替えに戻ることもしばしばだった。「お嬢さま」が1回着替えるうちに、おれは3、4回は着替えされられた。
 おれは、後ろで突っ立っているだけではなく、実際に、「お嬢さま」にお茶を出す動作もやらされた。写真なのに、「動作が自然になるから」ということで、台詞も言わされた。
「お嬢さま、お茶が入りました」
 これだけ言って、「お嬢さま」の前に紅茶の入ったカップを置く。こんな動作を何十回もやらされた。
 午前中は延々と撮影が続き、お昼を少し回ってから、休憩となった。 
 おれは、「お嬢さま」と一緒に食事を取る。いつの間にか、応接室には少し広めのテーブルが出されて、そこに2人分の食事が用意された。
 ある高級料亭がやっているというレディーズランチだそうだ。品数は多いが、1品の量は少なくて、確かに女性向けだ。器も凝っていて、美しい料理だった。
 給仕は、初老の秘書が受け持った。秘書課長のおばさんやおれの着替えを手伝う若い女2人の姿は見えないから、どこか外に食べに行ったのだろう。
 デザートのミニあんみつまで、充分、食事を楽しんだ。唯一不満があるとすれば、あんみつはミニでなくてもよかったのに、ということだ。
 食事の後、「お嬢さま」と歓談した。向こうはにこやかに話し掛けてくるが、こちらは、いつ取って食われるかと緊張感で一杯だ。
「やっぱり、あたしの目に狂いはなかった。あなたのおかげで完璧な写真が撮れてる。ギャラは100万円でも安いぐらい。あのヘボアイドルをクビにして、本当によかった」
 そんな風に言われると、おれはその会ったこともないアイドルに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そのアイドルは、自分の仕事を取ったと、あとで写真集を見て、おれのことを恨むのだろう。もっとも、その頃には、おれはこの体にはいないが。
「メイド服はもういいよね。午後は、趣向を変えて、姉妹風の写真を撮りましょう」
 彼女は、おれのことをかなり気に入ったようだ。
「よかったら、あの会社辞めて、あたしのとこ、おいでよ。あたしの秘書にしてあげる。あ、それより、あたしの妹として、一緒に暮らそう」
「は?」
 妹って、何を言ってるかわからない。
「あたしの妹だったら、お嬢さまだよ。別に仕事なんてしなくていいから。そうだ。あたしと一緒に暮らして、そこから高校に通うってのはどう?」
「あの、こう見えても、高校はもう卒業してるんですけど」
「知ってるよ、そのくらい。でも、高校なんだから、何回通ってもいいじゃん。あなたに一番似合う制服の学校を探して、そこに通おう。もちろん、学費は全部あたしが出してあげる。あたし、妹が欲しかったんだ。こんなかわいい女子高生の妹がいるなんて、最高でしょ」
 要するに何か。昨日、イケメン秘書がこの女社長のファッションは「『ごっこ遊び』みたいなもの」と言っていたが、おれを一緒に住まわせて「姉妹ごっこ」をしようということなのか。しかし、そのために妹役のおれをわざわざ高校に通わせるか?
「そうだ。いっそのこと、あたしも一緒に高校行こうかな」
 はあ? あんた、確かに若く見えるけど、実際には27歳だろ。下手したら、教師よりも年上だぞ。ていうか、あんた、会社はどうするんだ?
 だが、彼女の妄想はとどまるところを知らない。
「お揃いの制服着て、同じ学校に通う。ああ、これ、いいかも。でも、それだったら、何も姉妹じゃなくても、先輩後輩でもいいかな。――ねえ、ちょっとあなた、体の前で両手を組んでみて」
 突然「お嬢さま」から注文を出されて、何だかわからないうちに、その通りにする。
「こ、こうですか?」
「そう。それで、もうちょっと上目遣いにあたしを見て。そうそうそんな感じ。そこで、あたしに向かって、『センパイ』って言ってみて」
「センパイ」
 釣られて言ってしまったが、言ってしまってから、ものすごく後悔した。恥ずかしい。顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかる。
「いいっ。すごくいい。あなた、かわいすぎ。ああ。そうやって、真っ赤になって恥ずかしがるところも最高。決めた。やっぱり、あなたをあたしの妹にしちゃう」
 1人で盛り上がって、勝手に物事を決めてしまう「お嬢さま」。しかし、そんなことを勝手に決められても、困ってしまう。そもそも、あと2週間もすれば、おれはこの小娘の体にはいないのだ。
「あの、急にそんなこと言われても。仕事もありますし」
 そう言って、おれは、やんわりと断ろうとした。
「仕事って、あなた、あの社長さんの秘書なんでしょ」
「ええ。まあ」
「ということは、あなたもあの社長の愛人なの?」
 いきなり、核心を突いてくる「お嬢さま」。
「そ、それは……。まあ――」
 なんとかぼかそうとするおれ。
「やっぱり、あの社長さんの方がいいのね。確かに、あの人、エッチすごい上手だったし」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんですかって、いつもやってるんでしょ?」
「いつもって――」
 おれは、また顔が赤くなってしまう。
 この女、見た目は清楚な美少女の癖して、よくそんな言葉が平気で口から出てくるものだ。もっとも、よく考えたら、「美少女」なのは、外見だけ。「清楚」は今日のコンセプトでそうしているに過ぎない。実際のところは、もう27歳の離婚歴のある大人の女だ。こんな話が出ても不思議ではない。30歳手前の女が女同士で交わす会話としては、これぐらい別段どうということもないのだろう。
 もっとも、彼女にしてみれば、「女同士」かもしれないが、おれの視界には彼女の後ろに初老の「執事」の姿が見えている。彼女にとっては、「執事」など空気のようなものなのだろうが、おれとしては、女の園の秘め事を男に聞かれているようで何だかやましい気持ちになってくる。それに、第一、おれ自身が姿形は少女とは言え、実際には男なのだ。若い女からセックスに関する話を聞かされるのは、あまりいい気分ではない。
「あの社長さん、精力絶倫って感じじゃない。秘書の女の子たちを毎日とっかえひっかえやりまくっているって噂だけど」
 小娘が「おれ」になって、まだ半月ぐらいだが、もうそんな噂が出回っているのか? それとも、このIT企業がおれの会社に関して集めた情報の中に、そういったことも入っているのだろうか?
「あなたも、毎日のように、あの社長さんのお相手してるんでしょ」
 この女社長も、おれのことをそんな目で見ていたのか。だとすると、あのイケメン秘書も、おれのことを毎日社長に抱かれている淫乱な娘だと思っているのかもしれない。そう考えると、何だか悲しかった。
「そんな。毎日だなんて……」
「ふーん。じゃあ、2日おきとか?」
「……」
「週2ぐらいか」
「まだ、1回だけです」
 小さな声でおれはそう言った。
「1回だけ?」
「はい」
 俯いたまま、おれはそう答える。実際、おれが小娘にやられてしまったのは、1回だけ。おれたちが体を入れ替えられて、最初に会社に行った日。あのとき無理矢理犯された1回だけだ。それからは1度もない。昨日も体中を小娘に触られたが、本番までは行っていない筈だ。
「で、どうだったの?」
「はい?」
「そのときの感想よ。気持ちよかった? あの社長さんだもんね。気持ちよくさせてくれるに決まってるよね」
 彼女は、勝手に盛り上がっている。どうやら、彼女に取っては、昨日の小娘とのセックスが余程気持ちよかったらしい。
「ええっと……」
 おれは口籠もってしまった。
「何? ほら、お姉さんに言ってごらん」
 彼女は、だんだん小声になっていくおれに顔を近づけてくる。
「――痛かったです」
 おれは、消え入るような声で、そう言った。
 おれの答えに、彼女は、ちょっと驚いたようだ。
 おれは、ライヴァル会社の社長に対して、どうしてこんな恥ずかしいことを話さなくてはならないのだろうと思うと、今の自分の立場が無性に悔しくなった。
「はじめてだったの?」
 彼女の問いに、おれは答えない。おれとしてははじめてだったが、この体に取ってのはじめては、屋敷でおれに犯されたときだ。それで、どう答えていいかわからなかった。
「男の人とするのは、イヤ?」
 無言だったおれのことをきっと勘違いしてくれたのだろう。彼女がやさしくおれに声をかけた。
「最初は、誰だって、痛いもの。でも、すぐに慣れるわ」
「そうでしょうか?」
「でも、あの社長さんは、力強い感じだから、初心者のあなたには向かないかも」
 向く、向かないなんて関係なく、小娘なんかにやられたくない。
「そうだ。あたしの秘書を1人、貸してあげるよ」
 おれは、一瞬、彼女の言ったことがわからなかった。
「秘書を貸すって――ひょっとして、社長さんの秘書って」
「そう。そちらの社長さんと一緒」
 ということは。
「みんな、社長さんの愛人ってことですか?」
「まあ、そうだね」
 おれは、そう言われて、真っ先に「お嬢さま」の後ろに立っている執事役の初老の秘書を見た。
「ん?」
 彼女はおれの視線に気付いたのか、慌ててこう言った。
「ああ、これは違うの。これは、『秘書』じゃなくて、『執事』だから、別枠」
 はあ。そういうものなのか。
「あと、さっきまでいた秘書課長も違うよ。あの人も『秘書』じゃなくて、『秘書課長』だからね」
 そりゃあ、言われなくたって、わかる。しかし、そうまでして「秘書」とそれ以外を分類する必要があるのだろうか?
「要するに、若い男の秘書さんは、全員社長さんの愛人ってことなんですね」
 おれが、愛人を秘書として使っているように、この女社長も、自分の周りに愛人を侍らせて、それを「秘書」という名目で会社に置いているということか。この女社長、女子高生みたいな外見の癖に、実はヤリマンだったとは。まあ、突然他人の会社に押しかけて、その社長と一戦交えようというのだから、そうに決まっているか。
「そう。あたしとそちらの社長さんは、似た者同士ってわけ」
 いやいや。おれの場合は、愛人を秘書としたわけではなくて、仕事もできる優秀な女を秘書兼愛人にしているわけだから、ちょっと違う。いや、断じて違う。おれは、会社の利益を生み出さないような無能な人間を「秘書」の名目で雇ったりはしない。
「でも『愛人』ってのは違うかなあ。実際、『愛』があるわけじゃないし」
 そういう言い方をされると、おれの秘書たちも『愛人』と呼んでいいか自信がない。特に、この間の「歓迎会」での彼女たちの発言を聞いた後では。
「あたしたちの場合は、どっちかというと『セフレ』って感じかな」
「セフレですか」
「対等な関係だもの。あたしから誘うこともあるし、向こうから誘うこともある。もちろん、断ることも自由」
「社長さんに誘われたら、断れないですよ」
「それゃあね。こんな美少女に誘われて、断る男はいないよね」
「いえ、そういう意味ではなくて」
 社長に性的に奉仕するために雇われている男たちなのだ。それが、社長の誘いを断るなんて、出来る筈がない。実際問題、おれの秘書たちが、おれの誘いを拒むようなことがあったら、即刻クビにするだろう。
「そりゃあ、あたしが社長だから嫌々受ける男もいるかもしれないけど、そういうのは、こっちだってわかるし、そんな男に抱かれたくないじゃん。だから、そういう男は最初から秘書にしない。あたしの秘書になるための最低条件は、あたしのことをタイプだと思ってくれる男であること」
「好みとか調べるんですか?」
「事前に調査するの。あ、いくら向こうがあたしのことを好きでも、あたしの方が気に入らなかったら駄目なんだけどね」
 まあ、おれだって、秘書にしようとする女のことは、調査会社に調べさせるから同じようなものだ。案外、同じ調査会社を使っていたりして。
「あなたの社長のことも調べたんだけど、使っている秘書たちを見ると、ああいう胸が大きくて背が高い女が好きみたいだよね。だから、あたしみたいな美少女はお気に召さないかな、と思ったの」
「自分が美少女っていう認識があるわけなんですね」
「そりゃ、あるに決まってるじゃない。小さいときから、ずっとかわいいって言われ続けてきたんだから。あなただって、自分が特別かわいいって思ってるんでしょ」
「あ、あたしですか?」
 急に振られて戸惑うおれ。
「あたしは、特にそんなこと思ったことないですよ。だって、あたし、背ちっちゃいし、胸もないし」
「ほんとに?」
「ほんとです。実際、高校出るまでは、ずっと地味で目立たない女の子だったんですから」
 おれは、昨日小娘が言っていたことをそのまま言った。
「高校出たばかりだと、そうなのかな。ないものねだりとかしたい年頃だしね。でも、これからは自分のこと、美少女だって認識しておいた方がいいよ」
「はあ」
「まあいいわ。とにかく、あなたの社長は、背が高くて胸の大きい子が好きみたいだったから、あたしみたいな美少女はあまり好きじゃないかなと思ったわけ。ところが、実際、会ってみたら、あたしのこと、好みだったみたい」
 そう言えば、小娘もそんなことを言っていた気がする。
「社長さんは、うちの社長のことどう思ってるんですか?」
「結構タイプ。ていうか、昨日は久しぶりに大当たり引いたって感じ。お互いにタイプみたいだし、向こうはエッチがものすごく上手だし」
 おれは、その話を複雑な思いで聞いていた。小娘の「おれ」は、この「お嬢さま」のことがタイプのようだが、おれ自身としては、こういういかにも「美少女」という女には、あまり食指が動かない。やっぱり、女は胸が大きくて背が高い方がいいと思う。元の体に戻ったときに、この女から誘いを受けたら、おれはどう対処したらいいのだろう?
「ええっと、何の話だっけ? ――ああ、そうか。秘書を1人貸すって話ね。あたしの秘書を1人貸してあげるわ。とにかく、人当たりがよくて、やさしく接してくれる子がいるの。もちろん、エッチも上手よ。痛いこともしないし、あなたが嫌だと言えば、すぐにやめてくれる……」
 彼女がそこまで話したところで、後ろに立っていた初老の「執事」が進み出て、「お嬢さま」の耳元で何やら囁いた。
「えっ、そうなの? だったら、話が早いじゃない」
「?」
「あなた、うちの秘書に恋してるんですって?」
「え?」
 どこからそんな情報を。――ああ、あの秘書課長のおばさんが、撮影中に、この初老の秘書に教えたんだな。
「あたしが今言っていた秘書というのが、あなたが恋してる秘書のことなの」
「は?」
 つまり、今、女社長が話している秘書というのがイケメン秘書のことだったらしい。
「丁度いいじゃない。彼は、やさしくしてくれるから。あんまり痛くしないよ。それに、恋してる男が相手だったら、多少痛くても、むしろ感じちゃうものなの」
「いえ、だから、別に恋してるわけでは……」
 おれは即座に否定したが、彼女はおれの言葉なんて聞いてはいない。
「だったら、こうしましょ。今日は、帰りに彼に迎えに来させるから、そのままデートしちゃいなさい」
「デ、デート……」
「そうだ。この子のために、ホテルの部屋を用意してあげて」
 彼女が振り向いてそう言うと、「かしこまりました」と初老の「執事」が頭を下げた。
「いえ、そんなことをしていただくわけには……」
「いいの。気にしないで。かわいい妹のためなんだから。もちろん、ホテル代は、あたしのおごりよ」
「いや、そういうことじゃなくて」
「そうと決まったら、残りの撮影をさっさと終わらせましょう」
 午後は、「お嬢さまとその妹」というコンセプトで写真を撮られたが、正直、あまり憶えていない。この後のイケメン秘書とのデートのことが頭から離れなくて、おれは終始上の空だったからだ。
 撮影が終わると、今日撮った写真の中から、サンプルをいくつか見せてもらう。
(こ、これがおれか?)
 もちろん、小娘の姿なので、元の自分とは似ても似つかないということは頭ではわかっているのだが、最近では、小娘の姿をした少女のことを「自分」と認識してしまうことに慣れてきている。そんな感覚で写真を見ても、それが「自分」だとは思えなかった。
 午前中の写真は、一分の隙もないロリータファッションに身を包んだ美少女の後ろで、まるで1枚の美しい背景画の一部として溶け込んでいるメイド服の美少女。その姿は、美しさでは主役の美少女に一歩譲るとしても、その清楚さでは、主役を凌駕していると言ってもいい。
 「お嬢さま」にお茶を給仕する写真では、おれは、上品で手馴れた手つきでお茶を出すメイド少女として写っていた。このときは、手が震えて、カップがカチャカチャ鳴っていた筈なのだが、カメラはそんなところまでは捉えてはおらず、若いが熟練のメイドみたいに見える。
 午後の写真となると、どれもこれも自分とは思えないものだった。
 正直、午後は心ここにあらずといった心境だったのだが、写真に写っているおれは、どこか、夢見るような表情の少女だった。多分、あのイケメン秘書のことを考えていたらこんな表情になったのだろう。「お嬢さま」を見上げる視線も、やさしい姉に憧れる少女といった感じがよく表れている。「お嬢さま」の前で恥ずかしそうに俯いている写真は、恋に恋する少女そのものだ。もちろんおれは、そんなものを表現したつもりはないのだけど。
「やっぱり、あたしの見込んだとおり。あなた、完璧よ。才能あるんじゃない? こんな凄い才能を土壇場で見つけてくるなんて、あたしも、自分で自分のことが怖くなるわ」
 サンプルの写真を見て、「お嬢さま」は興奮気味に話している。
「あの、やっぱり、この写真って、本になるんですか?」
「今更、何言ってるの。こんなにかわいい写真、世の中の人に見てもらわなくてどうするの?」
 いや、こんなかわいいからこそ、恥ずかしくて見せられないのだが。
「そうだ。あなた、来月も撮影お願いするわ。夏休み中の女子高でいろんな制服着て撮るんだけど、あなたも是非一緒に撮りましょ。お揃いの制服を用意しておくから」
 そんなことを言われたが、おれは来月のことまでは責任持てない。その頃にはこの体に戻っているであろう小娘に何とかさせることにして、適当に返事を濁しておいた。
「お嬢さま、そろそろお時間でございます」
 その後も他愛のない――おれに取っては緊張感に満ちた――話をしていたが、「執事」の声がかかって、その時間もようやく終了ということになった。
 よかった。やっと、この恐ろしい「お嬢さま」から開放される。
「それじゃ、妹になる話は、ちゃんと考えておいてね」
 帰り際に彼女はそう言うと、どう答えようか戸惑っていたおれの口唇を軽く奪った。
「えっ?」
 呆然とするおれを残して、彼女は「執事」を従えて、部屋を出て行った。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル : 小説・文学

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