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xxxy 04

 翌日、病院のおれは予想通り筋肉痛で動けなかった。
 双葉の方はというと、昼過ぎまで寝ていた。いつもなら、午前も午後もたっぷり昼寝をするのに、昨日は、退院のため、ほとんど寝ていない。はじめて病院の外に出て、歩いたり、時には小走りになって疲れたし、それ以上に気疲れもあった。結局、夕食の後、8時頃には寝てしまい、起きたのが昼の1時過ぎ。ぶっ続けで17時間以上も寝てしまったことになる。いくら双葉の体でも、こんなに続けて寝るのは初めてのことだった。いつもは、短時間の昼寝を繰り返し、それと夜寝る分を合わせて16時間睡眠という計算だったのだ。
「お目覚めですか」
 女性の声がする。声の方を向くと、おれの寝ていたベッドのそばに椅子を置いて座っている30歳ぐらいの女性の姿があった。椅子の脇にはバッグと呼ぶにはちょっと大きめの鞄。膝には、文庫本。どうやら、本を読みながら、おれが起きるのを待っていたようだ。
「起きますか? もう、1時半ですから、そろそろ準備をした方がいいかもしれませんね」
 おれは、ひとつ伸びをして、体を起こした。昨夜、夫に連れてこられた寝室のベッドの上だった。服も昨日と同じ。ブラウスとスカートという格好のままだった。折角新調した洋服が皺だらけになってしまった。ちゃんと布団がかけてあったところを見ると、あの後、夫が寝かせてくれたに違いない。枕元のサイドテーブルの上にクリスタルのイヤリングが置いてあった。
 当然、夫の姿はない。確か、今日から出張だと言っていた。おれは、妻としての最初の朝、寝過ごして、夫を見送ることができなかったということになる。
「はじめまして」
 おれが後悔の念にかられながらベッドの上に座ると、彼女が自己紹介した。彼女のことは、夫から聞いている。これから住み込みでおれの面倒を見てくれる看護師さん。年齢は31歳。何と、札幌在住ということだ。まあ、どうせ住み込みだから、別に東京の人でなくてもよかったのだろうけど。取りあえず、2ヶ月の予定で東京まで来てもらっている。当然、独身。
「ええっと、一応、奥様、とお呼びすべきなんですけど……」
「とんでもないです」
 おれは、慌てて手を振った。おれは(元の双葉も)「奥様」だなんて、柄じゃない。デパートの着せ替え隊の面々もおれのことを「奥様」と呼んでいたが、どうも座り心地が悪くていけなかった。
「双葉って呼んでください。夫も、お姉さんだと思って頼ればいいって言ってましたし」
 おれがそう言うと、彼女は、にっこりと笑った。
「わたしも、ご主人からは、妹だと思って世話して欲しいって言われました。それじゃ、双葉さんって呼ばせてもらいますね」
「わたしも、園子さんって呼ばせてもらいます」
 彼女――園子さんは、すらっとした長身で、ほっそりとした体格。体のラインがよくわかるぴっちりした薄手のセーターを着ていたが、胸は小さい。グラマラスなおれとは、正反対のタイプだ。美人顔というわけではないが、瞳には知的な輝きがあって、いかにも仕事ができそうな有能な女性といった感じ。普段着なのに落ち着いて上品な雰囲気を漂わせている。それは、天性のものというよりも、歳月によって熟成されたものだと感じられた。多分、高校生ぐらいまではクラスの中でも地味で目立たない女の子だったのだろう。20代前半もその他大勢の1人として過ごし、その頃からの努力と経験の積み重ねが、20代後半から魅力として滲み出してきたのだと思われる。
 双葉と比べると、あまりに対照的な女性だが、はっきり言って、おれの好みのタイプだった。好みどころか、一目惚れに近い。元々のおれよりも10歳下というのも、守備範囲的にはちょうどいい年齢差だ。どうせなら、彼女より年上の男として彼女と接する機会があればよかったのに、と思うのだが、何の因果かおれは彼女よりも7つも年下の女になっている。彼女とは、姉妹みたいに接しようということになったが、おれが妹というのも、何だか切ない。せめて、おれが姉だったら……。いや、今の状況では、こんなことを考えても仕方がないのだが。
「病院に行くまで、あまり時間がありませんけど、まずは、体温と血圧を測りましょうか」
 そう言って、園子さんは椅子の脇に置いてあった鞄から血圧計と体温計を取り出した。どちらも電動式なので、誰でも簡単に扱えるものだが、何気ない手つきがプロっぽくて、かっこいい。
 当面の間、おれは毎日通院することになっている。一般の患者に混じって診察券を置いて順番を待つ、という通院ではなく、毎日午後3時に担当医の診察を受けることになっている。さすがに特別病室上がりの患者は、退院後も特別扱いらしい。このマンションから病院まで車で15分もあれば行く。まだ1時半にもなっていないので、時間は充分あると思う。
 測定が終わると、数字をシートに転記していく。血圧、脈拍は異常なし。体温がちょっと高め。37度を超えていた。
「本当に体温が高いですね」
 おれの平熱は37度近くある。覚醒した双葉の脳は、常人の何倍もの働きをしている筈だ。元々、脳というのは大量の酸素を消費して、大量の熱を発する器官らしいから、平熱も高くなるのだろう。おれは、常時知恵熱状態というわけだ。
「それでは、シャワーでも浴びててもらえますか? その間にお昼の準備をしますので」
「シャワー……」
 確かに、昨日は随分汗を掻いたし、風呂にも入らずに眠ってしまったので、シャワーぐらいは浴びておきたいのだが。
「シャワーって、あたしひとりで?」
「え? 一緒に入れって言ってます?」
「い、いえ。……昨日までは、ずっと看護師さんに手伝ってもらってたから」
「あらあら、双葉さんは、入院してる間にすっかり甘えんぼさんになっちゃったんですか。まさか、シャワーの浴び方を忘れちゃったとか」
 忘れたというか、そもそも、女としてひとりでシャワーを浴びること自体、はじめての経験なんですけど……。
 おれは、園子さんにベッドから追い立てられて、バスルームへ向かった。
「ちゃんとお化粧も落とすんですよ」
 本当にお姉さんみたいに世話を焼いてくる。「おれは君よりも10歳も年上なんだよ」と言ってやりたいのだが、そういうわけにもいかない。妹扱いというか、子ども扱いされている感じで、何だか悔しい。夫の前では、かわいい双葉でいようと思うおれだが、園子さんの前では、元々のおれ、男のおれでいたかった。誰だって、自分のタイプの女性の前では、そう思うだろう。それは叶わないまでも、せめて、園子さんとは大人同士もっと知的な会話を楽しみたい、と思っているのだが、今のような双葉ではそれすら叶わない。
 おれはバスルームへ向かう途中でバッグの中から手鏡を取り出し(こんなことをしたのもはじめてだ)、メイクをチェックした。鏡を見ると、昨日あんなにきれいだった双葉の化粧が乱れかけている。直して直せないこともないのだろうが、おれのメイクスキルと、この後シャワーを浴びることを考えると、一旦落としてからメイクをし直した方がよさそうだ。
 何もかもゆったりと造られているこのマンションは、浴室関係の設備も広い。洗面台が2つ、トイレが2つ。2人暮らしなのにもったいない。その奥が脱衣場になっていて、着替えを置くロッカーは9つもある。シャワールームもやっぱり2つ。その向こうに広めのユニットバスがあるが、これは1つしかない。あくまでこれは、非常用の設備。浴場は展望風呂になっていて、浴槽は3人が一度に入れる大きさだ。
 おれは、洗面台の鏡の前に座った。さまざまな化粧品と一緒にクレンジングオイルや洗顔料が置いてある。多分、通いの家政婦の人が、用意してくれたのだろう。これを使ってメイク落としをするということはわかるのだが、双葉の記憶を見ても、それをどう使ってやればいいのか、わからない。
「園子さん、手伝って」
 仕方なく、おれは園子さんに助けを求めた。またこれで、おれの株が下がったろうか。
「あんまり頼ってばかりだと、お昼ご飯ができないかも知れませんよ」
 口ではそういうものの、園子さんは助けに来てくれた。口元は笑っている。
「昨日は、どんなお化粧だったんですか?」
 おれは、昨日のメイクをひと通り話す。双葉の記憶力がよくて助かった。おれ自身はまだ理解しきれていないことも、園子さんは理解してくれたようだ。
「さすがに、プロのメイクは手が込んでますね。だったら、まず、これでメイクを馴染ませて……」
 園子さんは、いくつかのクレンジング剤を見比べてから、そのひとつを取って、おれに渡した。メイク落としの手順を一通り説明すると「あとはひとりでできますね」と言って、キッチンへと戻っていった。
 確かに、プロのメイクも手が込んでいて凄いとは思うけど、プロがかけた手の込んだ魔法の解除方法をたちどころに看破してしまう園子さんも、凄いと思う。ひょっとして、この程度のことは、女性としてはあたりまえの嗜みなのだろうか?
「双葉さん、できた?」
 園子さんが、いきなりドアを開けて、覗き込んできた。
「はいっ、できました」
 おれは、何とかメイク落しを終えて、奥の脱衣場へと向かった。
 ちょっと興奮しているかもしれない。病院では、1度も機会のなかったひとりきりでのシャワー。すぐ外に園子さんがいるので、ここでオナニーを始めてしまうわけにはいかないが、ついにこの双葉の裸体を自分の目でじっくりと見ることができる。
 壁の姿見に自分を映してみる。
 昨日は一部の隙もなかった美女の洋服が、今はだらしなく着崩れてしまっている。こんな姿で園子さんとの初対面を終えてしまったと思うと、恥ずかしい。おれのスッピンの顔が少し赤らんだ。どうせなら、昨日のおれを見て欲しかった。
 だが、くよくよしていても仕方がない。
「よしっ」
 おれが少し気合を入れると、鏡の中の美女が両拳を小さく握った。
 そうだ。隙のない美女が、ちょっとだらしない美女に変わっただけで、おれが美人であることには変わりがない。
 おれは、取りあえず上から脱いでいく。ブラウスのボタンを外すにつれて、中からブラジャーに包まれた豊かな胸が見えてきた。
(うわぁ)
 病院で筋肉痛で起き上がれないでいるおれの下半身がむくむくと頭をもたげてくる。ちょうど、午後の検温の時間で、看護師が来ていたので、それを悟られないように必死で気持ちを落ち着かせる。エロビデオにでも出てくるような光景だが、どんなエロビデオの女優よりも、おれの方が綺麗でスタイルもいい。
 おれは、ブラジャーが半分見えたところで、手を止めて鏡に見入った。この状態のおれも、そそる。ブラと谷間が見えるような見えないような微妙な感じだ。おれは目を下にやって胸元を直接覗いてみる。大きな胸と谷間が今度ははっきりと見えた。
 おれは、妙な優越感を覚えた。仮に、この格好でおれが外を歩いていたとしても、周囲の男は谷間を覗く程度にしか見ることができないが、おれだけは、この美女の胸と谷間をこうしてはっきりと好きなだけ見ることができるのだ。
 そう。今のおれは、見るだけじゃなくて、こんなこともできる。おれは、ブラウスの残りのボタンを外し、ブラウスの中に手を入れてブラジャーを下から持ち上げてみる。おれの柔らかなバストがおれの目の前で形を変えた。
(いかん、興奮してきた)
 おれは――脱衣所のおれとベッドのおれは、理性でもっておれの暴走を止めようとする。ベッドのおれは、その状態で脈を測られたものだから、とんでもない数値になってしまい、看護師が大慌てで医者を呼びに行った。
(取りあえず、早く脱いでシャワーを浴びちゃわないと)
 おれは、ブラウスを脱ぎ捨て、次にスカートを脱いだ。留め金を外して手を離した途端、スカートはすとんと床に落ちた。ズボンではあり得ない新鮮な光景だった。
 ストッキングも穿いたままだったので、これも脱ぐ。慌てて無理矢理下ろしたために、伝染してしまった。こんなに繊細な物だとは知らなかった。
 これでおれは、ブラとショーツという下着姿になった。鏡には、おれの素晴らしいボディラインが映っている。Gカップのブラに包まれたバストは誇らしげに山と谷間を形成している。ウエストは適度にくびれ、ヒップのところで再びふくよかさを取り戻す。スタイルもさることながら、おれの肌の美しさには目を奪われずにはいられない。元々色白だった双葉の肌は、半年もの間、外に出ていなかったこともあって、透き通るような白さだった。実際、谷間から覗く白い乳房には、青い静脈が透き通って見える。肌触りも滑らか。きめも細かく、触っている方も触られている方も気持ちがいい。
 おれは、体の向きを変えて、鏡に映る下着姿のおれを様々な角度から眺めてみた。横向きになると、おれの胸が大きく前に突き出しているのがわかる。足を前後して、ちょっとしたポーズを取ってみると、ヒップから腿の肉感的なラインが男心をそそるし、きゅっと締まった足首の細さもたまらない。正面に向き直り、両脇をぎゅっと締めると、元々大きな胸が更に圧迫されて、巨乳と呼ぶにふさわしい形に変わる。そのまま前屈みになると、重力によってますます強調されたバストは、Gカップからこぼれそうなぐらいのボリュームになった。
 凄い。下着のモデルだったら、今すぐにだって芸能界に復帰できそうだ。
 おれは、一通りのポーズを楽しんだ後、いよいよ身に着けた最後の2つの下着をはずすことにする。まずは、背中に手を回してブラをはずしにかかる。昨日、病院でデパートの着せ替え隊によって装着されたときの記憶があるので、ホックの位置はわかっているのだが、手探りではなかなか外せない。双葉の体は硬いので、手がうまく後ろに回せないのだ。仕方がないので、姿見に背中を映してやってみたら、簡単にはずれた。鏡を見て、何がどこにあってどうすればいいか、一瞬でわかってしまったのだ。双葉の硬い体でもどうやって手を伸ばせばそこに届くかも、一瞬でわかった。鏡に映った背中の映像から位置関係と腕の使い方を簡単に把握できたということは、双葉の処理能力がかなり高まっていることを思わせる。
 ホックをはずすと、Gカップのブラがはらりと床に舞った。それまで抑えつけられていた胸が開放され、ついにおれはおれの目の前に乳房をさらけ出した。
 おれの乳房は、大きいだけではなく、形がいいことも自慢のひとつだ。世のグラビアアイドルの中には、バストの数字が3桁だったり、カップがIだのKだのというのがいるが、そこまで大きくなってしまうと、地球の重力に負けて、水着やブラジャーで補強してやらないと、形が崩れてしまうことが多い。おれの胸は、そこまでは大きくはないが、張りがあって、ブラをはずしてもちゃんと美しい形を保っている。胸の割りに乳首は小さく、乳輪も控えめだ。正直言って、グラビアアイドルとしてはいまいちだった双葉だが、ヌード、それも、エロよりも芸術性を追求したものををやってたら、ブレークしていたんじゃないかとさえ思えてくる。双葉に取っては、「脱ぐ」という行為は、超えられない一線だったのかもしれないが。
 おれは、最後にショーツに手を伸ばす。本当は、中に手を入れて、じっくりと探りたいところだが、今日はそこまでの暇はない。それは、いつか園子さんの目を盗んでのお楽しみということにする。
 ショーツを脱ぐときに前屈みになると、形のいい胸が揺れるのがわかる。全裸になって、おれは、両足を開き、腰に両手を当てて立ってみた。鏡の中のおれは、堂々としていて美しい。
「双葉さん、着替えここに置きますね」
 いきなり戸が開いて、園子さんが着替えとタオルを抱えて入ってきた。もう、とっくにシャワーを浴びてる頃だと思って入ってきたのだろう。全裸で鏡の前でどうだというポーズを取っているおれを見て、苦笑した。
「それ、仕事してた頃のポーズですか?」
 園子さんは、双葉がグラビアアイドルだったことも知っているのだろう。おれが取り繕うよりも前に取り繕ってくれた。
「あ、双葉、シャワー浴びてきます」
 おれは、慌ててシャワー室に駆け込む。自分のことを「双葉」と呼んでしまったことに気付いて、更に落ち込んだ。おれは、園子さんの前では、自分のことを「わたし」と呼んで、少しでも大人っぽく見せようと思っていたのだ。本当は自分よりも10歳も年下の好みのタイプの女性に、子供だと思われるのは、心外だった。
 おれは、シャワールームに入って、いきなり頭から水をかけた。冷たい。熱を帯びた頭にかけると、特に気持ちいい。
 おれは、双葉の記憶から、女性のシャワーの作法を読み取ろうとする。おぼろげな記憶が浮かんでくるので、その手順に沿って進めた。
 温度を調整して、ぬるめのお湯にした。シャワールームに湯気が立ち込める。温度が上がってきたところで、肩の辺りから始めてじきに胸へと移る。シャワーのお湯が胸の谷間を滑り落ちた。大きな胸を両手で包み込むような感じで、念入りにマッサージする。Gカップのバストを隅から隅まで洗うのは、ちょっとした手間だった。優しく、ゆっくりと洗っていると、だんだんと気持ちよさがこみ上げてくる。胸を持ち上げて、乳房の下をくすぐるように洗うのが特に気持ちいいことを発見した。あと、おれは右よりも左の方が感度がいいことも。
 おれの乳房は、おれの手の動きによって自由自在にその姿を変えるが、手を離せば、たちどころに元の美しい形に復元する。記憶の中の双葉は、右手にシャワーを持ち、左手で両方の乳首を抑えることによってできた谷間めがけて、強めのシャワーを浴びせている。おれも、その通りにやってみた。
「あっ」
 乳首を抑えたところで思わず声が出た。前々からわかっていたことだが、とにかくおれは乳首が弱い。何かの拍子に自分の手が触れてしまっただけでも、声が出そうになる。乳首の感度は右も左も変わらないぐらい凄い。
 乳首への刺激によって、胸全体の性感が高まってきた。おれの胸がいやらしく歪んだ。そこに、強めのシャワーを浴びせると、性感帯と化した乳房が刺激されて、体の奥から何かがこみ上げてくる。
(まずいよ、これ)
 おれは、今どんな顔をしているのだろう? きっと、欲情したメスの顔。とても、園子さんには見せられない……。 
 そのとき、シャワールームの外で大きな声がした。
「いつまでシャワー浴びてるんですか。本当にご飯抜きにしちゃいますよ」
「は、はいっ!」
 反射的に返事をして、シャワーを止めた。
「い、今、出ます」
 慌ててシャワールームを出ると、目の前に園子さんの顔があった。裸を見られた!
 大急ぎでロッカーのバスタオルを取り出して、体を隠した。今更だけど。
「双葉さん」
 園子さんは、バスタオル1枚の姿のおれににじり寄ってくる。おれよりも5センチは背が高い園子さんに見下ろされる格好。
 園子さんは、くんくんとおれのにおいを嗅いでいる。ひょっとして、においでわかっちゃった?
「随分長く入ってましたけど、一体、何をやってたんですか?」
「何って……いつもの手順で」
「ちゃんとシャンプーしませんでしたね」
「はあ?」
「もちろん、トリートメントも。病院と言っても、外出な訳ですから、身だしなみだけはきちんとしませんと。髪を洗うのにお湯で流しただけで終わり、などという人をわたしの患者として病院へ連れて行くわけには参りません」
 園子さんは、おれに体を拭いて服を着るようにと言った。それから、洗面台の前に連れて行かれて、改めてシャンプーされた。男のときの床屋の洗髪は簡単なものだが、女性のシャンプーは髪の量も多いし、丁寧に洗うので時間も掛かる。トリートメントも、毛先の1本1本までという感じで念入りにやってくれた。
「もう、時間がありませんからお昼ご飯は抜きです。お化粧して、髪が乾いたら、出発しましょう」
 完全に子ども扱いだ。まるで、ロッテンマイヤーさんに叱られているハイジみたいな気分になった。

 昼ご飯は、本当に食べさせてもらえなかった。昨夜のピザから、もう20時間近く何も食べていないので、さすがにおなかがすいてきたが、食べている暇はない、と言われた。その間、おれは、髪を乾かし、入念にブラッシングして整えた。簡単にメイクもする。やったのは、全部園子さん。おれは、鏡の前で座っていただけだ。園子さんは、本職の美容師かと思うほど手際がよかったが、それでも髪とメイクにこんなに時間をかけなければ、食事ぐらいできた時間はあったと思う。そのことを遠まわしに指摘すると、「だって、遅刻しそうだからと言って、ご飯を食べて服を着ずに出掛けたりしないでしょ」と言われた。女に取って、髪の手入れをしなかったり、化粧をしないで出掛けるというのは、裸で出歩くのと同じだということなのだろう。
 おれは、女は身支度に時間が掛かるということを身をもって実感した。最初に園子さんが「あまり時間がない」と言った意味がようやくわかったが、手遅れだ。
 結局、おれと園子さんは2時35分にマンションの玄関を出た。おれがブラジャーをつけるのに悪戦苦闘しなければ、もう少し早く出られたのだが、さすがの園子さんも、おれがはじめて自力でブラジャーをつけるのだとは、思いもしなかったに違いない。これでまた、「この子は何をやらせても……」などと思われた筈だ。
 おれは、ハンドバッグを持って(女に取っては、バッグはどこに行くときも必需品らしい)マンションの玄関を出た。園子さんは、例の血圧計などの七つ道具(本当はいくつの道具が入っているか知らないが)が入っている鞄と、小さな紙袋を持っている。
 地下の駐車場で、おれたちはフェアレディZに乗り込んだ。セルシオは夫が使うので、おれと園子さんはこちらの車を使うことになる。運転はもちろん、園子さん。園子さんは本職は看護師だが、おれのために料理をしたり、車の運転をしたりと、何でもやってくれることになっている。
「双葉さん、はい」
 助手席に座ったおれは、園子さんが持っていた紙袋を渡された。中を見ると、トーストとペットボトルのミルクティー。トーストにはスクランブルエッグが挟んであった。園子さんは、お昼は抜きだと言いながら、即興でトーストを1枚焼いて、昼食用に作ってあったスクランブルエッグを挟んでくれたのだ。
「10分ちょっとで着くから、それまでに食べてくださいね」
「園子さんは?」
「わたしは、大丈夫。今朝は朝も遅かったし。双葉さんは、昨日から何も食べてないんでしょ。少しでも食べておかないと」
 結局、おれがバスルームで自分の裸に見とれているうちに、園子さんから昼食の時間を奪ってしまったということになる。おれは、助手席で小さくなってしまうが、折角作ってくれたトーストだけでも食べておこうと、1口齧り付いた。1切れの食パンを半分に切って、スクランブルエッグを挟んだだけなのだが、案外ボリュームがある。パンが普通より一回り大きいのだ。――いや、違う。双葉の手が俺の手よりも小さくて指も細いため、パンが大きく見えるだけだ。双葉の可愛らしい口だと一口に入る量も圧倒的に少ないため、余計にボリュームがあるように思える。
 トーストはそれほどでもなかったが、中に挟んだスクランブルエッグがうまかった。どの辺がと問われると、今のおれには、ケチャップがいっぱいかかっているところ、としか答えようがないのだが。

 フェアレディZは、マンションのある臨海部から都心へ向かって走っている。
「今朝は大寝坊して、初日から遅刻というのでは、先生方から大目玉を食らうところでしたけど、5分前には着きそうですね」
 おれは、「すいません」と小さくなって言った。
「気にすることはないですよ。退院して新しい生活を始めたんですから、最初はこんなものです。徐々に今の双葉さんに合ったペースを掴んでいけばいいんですから」
 都心に入って、信号が多くなってきた。赤信号で止まると、Zに若い女性2人という組み合わせが珍しいのか、周囲の車から好奇の目で見られている。
「園子さん、ひょっとして、こっちに住んでいたことあるんですか?」
 おれは、トーストを食べ終えると、園子さんに訊いてみた。北海道の人だというのに、さっきからナビも見ずに車を走らせている。5分前には着きそうだとか、こちらの道を知っている感じだったが、園子さんの答えは違っていた。
「実は、3日前から来てるんです。ご主人や先生方との事前の打ち合わせもありましたから。昨日までは、40階のゲストルームに泊まらせてもらってたんですよ。練習を兼ねて、この車をお借りして病院との間を何往復もしましたから、この道だけは、知っているんです。本当は、病院で双葉さんにもご挨拶しようと思っていたんですけど、あいにく眠っていらっしゃったんで」
 そうだったのか。ちっとも知らなかった。夫からは、一緒に住んでくれる看護師さん、ということで、履歴書を見せられただけだった。「北海道の人らしいよ」ぐらいの口振りだったが、実際には、園子さんと何度も会って、打ち合わせしているんだろう。ひょっとしたら、夫は、妙齢の女性と何度も会っていることをおれに知られたくなかったのかもしれない。そう思うと、何だかおかしくなった。
「今の時期にこんなきれいな道を走れるなんて、思ってもみませんでした」
 フェアレディZは、病院の駐車場に滑り込んだ。昨日と同じように、満開の桜がおれと園子さんを迎える。そう、東京は、桜の季節。園子さんは、雪解けの札幌からやって来たのだった。

 その頃、ベッドのおれは鎮静剤を打ってもらったところだった。
 双葉の裸体は、ベッドのおれには刺激が強すぎた。あっという間にペニスは勃起し、体がかっと熱くなった。体温も、血圧も異常な数値にまで上がり、心臓が100メートルを全力で走り終えた後のようにばくばくと波打っていた。
 若手の医者が飛んできて、おれを診察したが、どこに原因があるかわからないようだった。最近免許を取ったばかりの新人医師で、まだここでは雑用係に毛が生えた程度の存在だ。取りあえず、熱を下げるため、氷嚢を頭に当てられた。聴診器を胸に当てるときに布団をがばっと引き剥がされたので、下半身がとんでもないことになっていることはわかってしまっただろう。若い看護師が微妙な反応をするのが見えた。ちょうど、双葉がシャワーを浴びていた時だったので、おれの興奮が最高潮だった頃だ。おれのペニスは破裂寸前だった。
 おれは、新人医師を睨む。何も、布団を引き剥がすことはないじゃないか。昨日はあんな「事件」を起こし、今日はこんな姿を見られてしまった。看護師の中でのおれの評判は地に堕ちたに違いない。
 結局、新人医師はおれの様態の急変振りにおろおろするばかりで埒が明かず(だったら、何もしてくれるな、と言いたい)、代わりに30代ぐらいの中堅の医師がやってきた。このときには、双葉は園子さんに身支度を整えてもらって、車に乗り込む頃。おれの性的興奮は収まりつつあったが、相変わらず体が熱かったし、息も荒いままだった。
 結局、中堅医師でも原因はわからず、さっきの新人医師が使い番に出されて、今度はベテランの医師がやってきた。よく知っている顔だった。双葉の主治医で、この病院でもかなり偉い医者の筈だが、おれごときではこの医師に診てもらったことは一度もない。双葉に対してはいつもにこやかに話しかけてくるのだが、おれを診察するときは、ぶすっとして、一言も口をきかなかった。まあ、美女とオヤジに対する態度の使い分けとしては、こんなものだろうが、おれとしてはいい気はしない。
 結局、このベテラン医師にも原因はわからず、鎮静剤を打たれたおれは、程なく眠りに就いた。

 ベッドのおれが眠りに就いたとき、双葉のおれは、特別病棟の診察室に入ったところだった。中で待っていたのは、若手の医師。さっきまで、おれを診察しながらおろおろしていた新人君だった。
 彼は、主治医が急患で外しているので、自分が代わりに診ると言った。もちろん、その急患というのは、おれのことだろう。多分、「お前が代わりに診とけ」と言われて入れ替わりにやってきたのに違いない。おれが憶えている限り(ということは、ほぼ間違いなく)、彼が特別病棟の患者を診察するのは初めての筈だ。
 園子さんがおれのこの半日の経緯を説明する。新人医師は緊張しているのか、同じことを何度も園子さんに訊き直してばかりだった。
 一通りの説明が終わると、園子さんは、看護師たちと話があるからと言って出て行った。診察室には、おれと新人医師が残された。
(こいつ、赤くなってる)
 一般病棟でおれが見かける彼は、頼りないことは間違いないが、気さくな雰囲気のくだけた若者という感じなのだが、目の前の新人医師は、特別病棟でおれのような美人患者と向き合っているせいか、コチコチに硬くなっていた。歩かせたら、手と足が同時に出そうだ。
「あ、あの、診察を始めます」
 ようやくそれだけ言えたという感じだった。聴診器を耳に当てて、準備万端という体勢なのだが、おれはわざと「はい」と可愛らしい声で言ったきり、何もしないで、じっとしていた。
「えっと……」小声になった。おもしろい。次の台詞を探して、目が泳いでいた。「……服を」
「はいっ?」
 わざと彼の声にかぶせてみた。本当に真っ赤になってきた。
「ま、前、あけてもらっていいですか?」
「あ、そうですね」
 おれは、できるだけ恥ずかしそうにしながら、小さくなって、前のボタンをはずしていく。
 1つ。2つ。たどたどしい手つきでボタンを外した。彼の前におれの胸の谷間が少しずつ姿を現している筈だ。彼の視線が少しずつ下へと移動していくのが見える。
 ボタンを外し終えると、新人君が聴診器を握り直した。彼が聴診器をおれの方に向けるときを見計らって、おれは「きゃっ」と声を上げて、両手で胸を隠した。
「あ、あ、ああ……」
 新人医師は、反射的に聴診器を持った手を引っ込めた。聴診器の先が空中で右往左往している。明らかに狼狽しているのがおもしろい。
「ごめんなさい」
 おれは、両腕でGカップバストをぎゅっと寄せるお決まりのポーズで谷間を強調してやった。彼は慌てておれの胸から視線を外そうとするが、そうはさせない。今度は、上目遣いになって、体を小刻みに震わせて胸を揺らしてみせた。彼は、頭の中では「見ちゃいけない」と思っているのだろう。その証拠に顔は横を向いている。だが、男の本能というのは悲しいもので、目だけはしっかりとおれの揺れる胸元を捉えていた。
 元グラビアアイドルの秘技を次から次へと繰り出されては、経験の少ない新人医師ではひとたまりもなかっただろう。おれが視線を下に落とすと、彼のズボンが大きく膨らんでいるのがわかった。
「立派ですね」
 おれが彼の股間を見つめながら言うと、彼は、慌ててズボンの前を隠した。もう、遅い。
 おれのささやかな仕返しは、終わった。

 病院から戻ると、おれと園子さんは、マンションに隣接するスーパーへ買い物に出掛けた。園子さんの仕事は、車の運転から家事全般まで含まれるのだが、なんと言っても一番大切なのは、おれの付き添い看護師としての仕事だ。ちょっと買い物に行ってくるからお留守番お願い、というわけにはいかない。かといって、買い物に行かないと食事も作れないので、必然的におれも一緒に出掛けることになる。
 園子さんは、カートに買い物かごを載せ、さまざまな食材を吟味しながら、手際よく集めていく。今日の夕食の分だけではなくて、数日分まとめて買うらしい。一応、おれにどんなものが食べたいかを訊いてきた。
「やっぱり、ピザかな」
 考える前に反射的に言ってしまった。昨夜のあの絶品の宅配ピザの味が思い起こされて、おれは一時幸せな気持ちに包まれた。
「宅配ピザだったら、お買い物いらないでしょ」
 怒られてしまった。
「ご主人からも言われてるんですよ。双葉さんは、放っておくと、宅配ピザばかり食べてるので、もっとちゃんとしたものを食べさせてくれって」
 その後、好きな食べ物を訊かれて、ほとんど条件反射でハンバーグ、唐揚げ、フライドポテトと思いつくままに言ってみたが、小学生か、おれは、と自分で頭を抱えてしまった。
 結局、その日は2人で鍋をつつくことになった。鍋は病院では絶対に出ないものだったし、今日初めて会ったふたりの親睦を深めるということでも格好の料理だった。まあ、この時点で、ふたりとも既にかなり打ち解けた感じにはなっていたのだが。
 次に、鍋の材料の検討に入る。鍋といえば、おれに取っては何と言ってもカニということになる筈なのだが、どうも心浮き立つものを感じない。それどころか、面倒くさそうというイメージが湧いてきて、気が滅入る。どうやら、双葉に取って、カニというのは、その程度のものらしい。不器用なので、殻を割るのが苦痛なのだろう。
 それでは、ふぐはどうかと思ったが、これは双葉の舌では理解できなさそうなので、やめた。牡蠣鍋というのも今の季節を逃すとしばらく味わえなくなるので食べたいのだが、こういう癖のあるものは、リスクが大きそうだ。結局、鶏肉ベースでつみれ、豆腐、椎茸、白菜、人参など、肉は少なめのヘルシーな鍋ということになった。明日の昼食用にうどんも買っておく。鍋といえば、最後は雑炊やうどんと決まっているが、その日のうちに食べてしまわないのが太らないコツだと園子さんは言っていた。
 園子さんと一緒にお買い物。正直言って、無茶苦茶楽しい。
 おれは、カートを押す園子さんの後ろからついていく。園子さんより5センチ程低いおれの目線は、園子さんのうなじのあたりにある。元々のおれだったら、この身長差が逆になってちょうどいいのに、と思うのだが、どうしようもない。大体、この半日で、園子さんはおれのことを、妹か年下の女友達として認識してしまったことだろう。今更、おれを男として見てくれることなんて、ありえない。
 おれは、開き直ることにした。
 だったら、完璧に妹として振舞ってやる。女同士を思う存分利用してやろうじゃないか。
「園子さん!」
 おれは、カートを押している園子さんの左腕に抱きついた。女性に抱きつくなんて、久々の経験だ。細くしなやかな腕がおれのやわらかい胸の間に挟まった。
「双葉も一緒に押させて」
 あ、また自分のことを双葉って言ってしまった。まあ、いいや。年下の女として振舞うことに決めたのだ。双葉は、園子さんの前では、無邪気でかわいい女の子でいるんだ。
「双葉さん、危ないから離れて」
「ええっ、じゃあ、後ろから」
 一旦離れて、再び抱きついた。今度は後ろから両手で園子さんの胸をぎゅっとする感じで。これは男じゃできないぞ。調子に乗って、胸をむにむにしてみる。
「ふ、双葉さん」
 うーん、園子さんの胸、やっぱりちっちゃい。全然ないわけじゃないけど。折角むにむにしてるのに、園子さんの背中に張り付いたおれの胸の方がむにむにされてる感じ。でも、いい。大きさなんて問題じゃない。おれが園子さんの胸をむにむにしていることが大事なんだ。
「双葉さん、いい加減にしないと、晩ご飯抜きにしますよ」
「は、はい」
 結局、最後は叱られておれのおふざけは終わった。この「ご飯抜き」は園子さんの必殺技に違いない。考えてみたら、ご飯のたびにそう言われている。今のところ、おれは園子さんがいなくては、ご飯も食べられないのだ。
 
 買い物から帰ると、ふたりしてエプロン付けて、夕飯の準備。鍋物だから、はっきり言って簡単。切って盛るだけの簡単な料理なのだが、おれにはそれができなかった。いや、おれだって、1人暮らしが長いのだから、チャーハンとか焼きそばみたいな簡単な料理だったら作れるし、野菜を包丁で切るぐらいのことは普通にできる。ところが、双葉のこの体は、それができないのだ。人参を切ってみたが、厚さはばらばら。そもそも、切り口が斜めになっている。分厚いところはとことん分厚くて、これでは火を通すのが大変だ。自分で切っていても、何かが間違っている気がするのだが、よくわからない。人参はあきらめて、白菜を半分に切ろうとしたところで、園子さんが叫んだ。
「待って! 双葉さん、駄目。ストップ、ストップ! そのまま動かないで」
 おれは、呆気に取られて、園子さんを見る。園子さんは笑っている。引きつった笑い。
「動かないでね」
 再びそう言って、園子さんはおれの右側に回りこんだ。包丁を持つおれの右手にそっと手をかける。
「はい、包丁を放して」
 おれが手を開くと、包丁は園子さんの右手に握られていた。
「双葉さん、下を見て」
 園子さんが静かに言う。見ると、白菜におれが入れた切れ目がかすかについていた。その切れ目をずっと下に伸ばしたところにおれの左手の親指があった。ということは、あのままおれが包丁を下ろしていたら……。
「双葉さん、取りあえず、わたしが切りますから、お皿に盛り付けてくださいね」
 園子さんは、優しくそう言ってくれたが、元々色白なその顔は、真っ青なままだった。

 食事は楽しかった。女同士の会話というのが楽しかった。男と女の会話だったら、もっと楽しかったのだろうけど。
 今日はまだ初日なので、お互い突っ込んだ話にはならない。子供の頃のこと。以前、やっていた仕事。今住んでいる場所。履歴書の内容をちょっと膨らませたような会話ばかり。双葉に残っている記憶だけでも、何とか対応できた。今のところ、お互い様子を見ている感じ。
 好きな人はいるの? 結婚はしないの? 今の夫からはなんてプロポーズされたの? 夜はどんなことするの? ということは、次回以降のお楽しみ。
 食事は楽しかったけど、おいしかったかというと……。つみれはおいしかった。ダシを取るために入れた鶏肉も意外とおいしかった。でも、白菜が……。
 おれは、はっきり言って、鍋なんてものは、白菜をおいしく食べるためのものだと思っている。カニだろうと、牡蠣だろうと、旨味の半分は鍋の中に溶け出している。それを目一杯吸収してとろとろになった白菜が、実は一番うまいのだ。ところが、この日、白菜を一口食べたおれは、泣きそうになった。
 水っぽい。
 味が全然しない。ポン酢につけて食べたんだけど、駄目だった。双葉の舌は、醤油系の味はあまり好きではないのだ。
 料理に失敗したわけではない。園子さんは、幸せそうに食べている。いいダシが出ているはずなのだが、双葉の舌はそれを理解できない。基本的に、醤油系よりも、ソース、ケチャップ、マヨネーズが大好きな双葉なので、こういう料理はうまいと感じないのだ。この分だと、明日食べるうどんも期待できそうにない。
 鍋をうまいと感じられない食生活なんて、何の意味があるんだろう?
 おれは、双葉の舌を呪わずにはいられなかった。

 夕食の後片付けをして、園子さんを大画面テレビが置いてある部屋に誘った。
 おれには、退院したら必ずやってみたかったことがいくつもあるが、これはその中でも結構優先順位が高い。
 おれは、CDやDVDがぎっしり詰まった棚の前に立った。ガラス戸を開けた一番取りやすいところに、人気の女性シンガーのCDがずらりと並んでいる。
(あ、そうか。昨日の車の中でかかっていたのは、この人だ)
 双葉がお気に入りだった女性シンガー。きっと、夫は、退院して最初に乗る車では、双葉が一番好きな音楽で迎えてくれたのだろう。
 おれは、今度ゆっくりとその女性シンガーのCDを聴いてみようと思った。元々のおれの好みではないが、味覚同様、双葉の体で聴けば、感動するかもしれない。
 当面の目的は別のDVDにある。おれは、双葉の記憶を頼りに1枚のDVDを探す。それは、さっきの女性シンガーとは対照的に、棚の奥深くにあった。まるで隠しているかのようだ。おれは、目的のDVDを持ってきて、プレーヤーにセットした。
 テレビの前のソファに園子さんと一緒に座った。
「双葉さん、何もくっつかなくても」
 園子さんが抗議する。2人同時に寝そべることができるほど大きなソファなのに、真ん中に女2人で寄り添うように座るのは変だが、おれはこの聡明で穏やかな女性と少しでも体を密着させていたいのだ。おれは、園子さんの腕を掴まえて離さなかった。
「あれっ、このDVDって」
 画面に、水着姿の若い娘が現れた。タイトルロゴが出る。
『Futaba For F』
 双葉がグラビアアイドル時代に出したDVDだ。2枚出したうちの、これが最初の方。初回枚数も少なく、それっきりだったから、かなりレアもの。って、誰も欲しがらないだろうけど。
 セレブ妻に納まった双葉にしてみたら、今となっては過去の汚点みたいなものかもしれないが、双葉の過去は、今はおれの過去だ。この2枚のDVDは、双葉の記憶の中以外では、もっとも鮮明に残っている記録なのだ。おれはどうしても自分の目で見ておきたかった。
「わ、若い」
 画面に映る双葉を見て、思わずこの言葉が口をついて出た。双葉は、どこかの女子高の制服を着てベッドに座っている。いまどきの高校生の制服らしくスカートが短くて、白くて健康的な太腿が覗いていた。
「これって、いつ頃の?」
 隣で園子さんが訊く。この時点では、普通に制服姿で笑っているだけだから、友達の昔のビデオを見ている感覚なのだろう。
「19の秋ですから、もう、4年半も前です」
 ちなみに、これは双葉の記憶から読み取ったのではなく、DVDのパッケージに書いてあった発売日から逆算した数字。この頃の双葉の記憶は、かなり曖昧で当てにならない。
「双葉にもこんな時期があったんだって思っちゃいます」
 あ、また、自分のこと双葉って言った。さっきからずっとこれだけど、もういいや。「わたし」とか言うの、めんどくさいし。
 おれが口にした感想の方は、正直な思いだ。おれは、23歳以降の双葉しか知らないので、10代の双葉なんて、実感がないのだ。この頃の双葉は、今よりも若いというよりも幼いという感じだろうか。まだ、田舎から出てきたばかりで、垢抜けない少女といったところ。笑顔も硬いし、髪型も野暮ったい。
 しばらくの間、カメラはベッドの上の双葉の周りを動きながら撮っていたが、やがて、双葉が制服を脱ぎだした。顔は笑っているけど、明らかに作り笑い。何だか、いたいけな少女に無理矢理服を脱がせている感じがして、いたたまれなくなってくる。
 制服を脱ぐと、中からブラジャーに包まれた胸が顔を出す。意外と大きい。今のおれと比べても遜色がないくらい。
「大きいですね」園子さんの声が心なしか冷たい。「19歳で、Fカップってこと?」
 園子さんは、いつの間にかDVDのパッケージに見入っていた。おれのことを非難するような口振りだ。さっきスーパーで抱きついた感触からすると、園子さんのカップは、多分、A。せいぜい、B。何で胸の小さい女性は、胸の大きい女に対して敵意を剥き出しにするのだろう? 園子さんのような聡明な人にしてこうなのだ。胸が大きいと肩凝りが酷くてお気の毒さま、ぐらいに思っていられないのだろうか? おれがたまたま胸の大きな女になっているから、そんなことを言っていられるだけなのかも知れないが。
「本当は、この頃はEカップだったんですよ。双葉だから、Fにしとこうってなったんです」
「じゃあ、ここから4年半で2つもサイズが大きくなったんだ」
 園子さんは、おれの着替えも準備してくれていた。もちろん、ブラも。だから、今のおれがGカップだということを知っている。
 画面では、19歳の双葉が下着姿で笑っている。下着と言っても、色はブルーでほとんど水着に近い。デザインもかわいいので、あまりエロい感じではない。
「ふーん」
 画面を見ていた園子さんが、今度は服の上からおれの胸を覗き込む。
「双葉ちゃん、ちょっと見せて」
 あ、今「双葉ちゃん」って呼ばれた。
「見せてって、何をですか?」
「この頃と今とを見比べてみたいの」
「昼間、何度も見たじゃないですか」
「だから、見比べたいんだってば」
「ええっ。恥ずかしいです」
「別に、全裸になれって言ってるわけじゃないんだから。それにこの後、一緒にお風呂に入るんだから、そのぐらいで恥ずかしがってても仕方ないじゃない」
 ――え?
「お風呂って、一緒に入るんですか?」
「そうよ」
「園子さんと?」
 園子さんは、何を今更、という顔をする。
「だって、あたしの仕事は双葉さんに万一のことがあったときに迅速に対応することなんだから。お風呂のような危険が一杯の場所に1人で入れるわけにはいきません」
 それはそうですけど、夫からは何も聞いてません。夫にしてみたら、おれと園子さんは女同士。園子さんから見ても、それは同じ。ノープロブレム。わざわざ言う程のことじゃないんだろう。でも、おれの意識としては、おれは男で、園子さんのことは異性として見ている。それも、好みのタイプ。
 一目ぼれの女性とその日のうちに一緒に入浴だなんて、いくら何でも展開早過ぎやしませんか? 
「さあさあ、脱いだ脱いだ。双葉ちゃんも、若い頃のDVDをあたしに見せるってことは、今のわたしを見て、ってつもりなんじゃないの?」
 いや、そんなつもりじゃ……。まあ、自分で見比べたいという気持ちは確かにありましたが。
「えー、ちょっとだけですよ」
 おれは、仕方なくボタンを外し始めた。
「うわぁ、脱ぎ方まで一緒だ。さすが同一人物」
 ほんとは同一人物じゃなんですが。それにしても、園子さん、テンション上がってませんか? そりゃあ、確かに元グラビアアイドルの体を現役時代と比較するなんて場面には、そう簡単に遭遇するものじゃありませんけど。――こんな人でしたっけ? アルコールは飲んでないですよね。
「うーん、EとGって、あんまり違わないのね」
「あ、あの頃は、寄せて上げてとかしてたから」
 多分。きっとそうだ。グラビアアイドルなんて、みんなそうに決まっている。
「じゃあ、今は寄せても上げてもいなくて、これ? うわあ、ショック」
 そう言うと、何を思ったか、園子さんは、着ていたセーターを脱ぎ始めた。
「な、何するんですか」
「あたしなんて、寄せて上げて、そこらじゅうから掻き集めて、これが精一杯。もうこれ以上ビタ一文出せません」
 確かに、園子さんの上品なブラジャーで包まれた胸元には(うわぁ、見ちゃったぞ)、かろうじて谷間が形成されている。でも、よく見ると(よく見てしまった)内側のふくらみに比べて、外側の盛り上がりが小さいのがわかる。
「これでも、思い切り見栄張ってやってきたんですよ。今度の患者さんは、元グラビアアイドルだって言うから、あたしみたいな真っ平らな胸だったら、絶対馬鹿にされるって」
「馬鹿にだなんて、そんなことしませんよ。そりゃあ、こういうDVDに出てくるような水着の女の子の胸が小さかったら、もうちょっと胸のでかい子連れて来いよと思いますけど、園子さんは、胸で勝負する女性じゃないですし」
「あれ、双葉ちゃんって、そんな風に考えるんだ」
「えっ?」
「だって、もっと胸のでかい子を連れて来いなんて、完全に男の子の発想みたい」
 しまった。つい、男の感性のまま喋ってしまった。うわあ。これでまた園子さんに、変な子と思われたかもしれない。
 その後、DVDの中の双葉は、いろんな水着をつけて登場した。園子さんは、画面の中の双葉がポーズを取るたびに、おれに同じポーズを取るよう強要した。当然、穿いてたスカートもあっという間に脱がされた。何だか、おれと、19歳の双葉によるセクシーポーズ対決みたいになってきた。
 完全に2人の一騎打ちかと思ってたら、たまに「そのポーズだったらあたしも」とか言って、園子さんも乱入してくる。当然、穿いてたパンツスーツを脱いでこちらも下着姿。園子さんのショーツからは、すらりとした白くて細い足が伸びていて、おれの男心を鷲掴みにする。しっかりと見たいんだけど、見ちゃいけない気もして、ほとんど今日の新人君状態。
 しかし、さすがに園子さんは女暦31年の大ベテラン。乱入してきたポーズではことごとくおれと19歳の双葉を圧倒した。どういうポーズなら、自分の体が映えるのかを熟知しているのだろう。
 それにしても、下着姿の若い女2人が、水着DVDを見ながら、同じポーズを取ろうとしているのは、かなり不思議な光景だ。
 DVDの最後の方になって、シャワーを浴びるシーンが出てきた。ビキニの上を外し、胸を隠してシャワーを浴びるというシーンだ。
 この光景、どこかで見たことがある、と思っていたが、すぐにわかった。双葉の記憶として残っているシャワーのシーンだ。なんてことだ。おれは、それが女のシャワーの作法だと思って、その通りにシャワーを浴びたのだが、これはDVD撮影用のポーズだったのか。道理で、やたらと胸ばかりを洗っていたわけだ。
 園子さんは、もちろんこのポーズもおれに強要した。当然のようにブラも剥ぎ取られた。今日の昼間、既に全裸の姿を見られているとは言え、やっぱり恥ずかしい。画面の双葉の動きに合わせ、胸を隠すようにしてシャワーを浴びる振りをする。乳首を押さえることで声が出そうになるが、全力でそれを我慢した。
「これは、今の双葉ちゃんの方が圧倒的にいいですね」
 何がいいのかわからないが、本日2度目のポーズなので、慣れた、というのが大きいのだろう。
 おれは、胸を手で隠したポーズのまま、園子さんの隣に座った。隠した手を下ろさないのは、乳首が立ってしまったことを悟られないためだった。

 約1時間のDVDが終わって、おれと園子さんは風呂に入ることにした。園子さんはブラとショーツ姿。おれに至ってはパンツ一枚になっていたのだから、当然といえば当然の成り行きだ。
 ずっと手で胸を隠していたけど、面倒になってきて、やめてしまった。乳首もおさまってきたし。
 半裸の状態で、浴室へと移動する。この状態だと、一歩踏み出すたびにバストがぶるんと揺れる。ブラジャーはおろか、上着さえ羽織っていないので、おれの獰猛な乳房を押さえつけるものが何もないのだ。とても歩けたものじゃない。仕方がないので、腕で胸を押さえる。今度は、乳首に触れないように、下からぐいと持ち上げるようにした。
「双葉ちゃん、その格好、いやらしい」
 確かに、元々大きな乳房を下から無理矢理持ち上げるような格好になったので、胸が強調されて、もう爆乳状態。
「こうしないと、歩きづらいんですよ」
 おれは、えへへと笑って見せたが、園子さんは「そう」と冷たく言っただけだった。やっぱり、園子さんの前では「あたしは胸が大きいから」という意味合いのことは言ってはいけないようだ。
 脱衣所で、ふたりともあっという間に残りの下着を脱ぎ捨てた。裸同士のつきあい。しかも女同士で。
 園子さんの体は、とにかく細かった。腕も、脚も、腰も、胸も。ブラを外した胸からは谷間が消えていた。中学生のふくらみかけのような乳房かと思っていたけど、小さいなりにちゃんと丸くて、これはこれで完成形。ウエストは、本当に信じられないぐらい細くて、決して大きくない腰回りに向けて、女性らしい曲線を描いている。園子さんは、服の外から見ていたよりも、ずっと成熟した大人の女性だった。
 おれは――男としてのおれは、双葉のようなグラマラスな女ももちろんいいと思うが、やっぱり、園子さんみたいなほっそりした女性の方が好みだ。胸だって、真っ平らではなく、ちゃんと丸いんだからこれでいいと思う。園子さんの体におれみたいな巨乳がついてたら、却って変だろう。
「園子さん、素敵」
「そ、そう?」
 園子さん、ちょっと赤くなった。
「双葉、園子さんみたいに細くてきれいな人、初めて見ました」
 これは、おれの本心。これまでの人生で、そんなにたくさんの女性の裸を見てきたわけではないが、こんなに細くてきれいな人はいなかった。
「園子さん、行こっ」
 おれは、スーパーでやったみたいに、園子さんの腕に寄り添うように抱きついた。今度は服を着ていないので、園子さんの細い腕がおれの2つのふくらみに直接当たる。凄くいい感じ。
「双葉ちゃん、危ないから、離して」
「大丈夫ですよ。こうして園子さんに掴まっていれば、つまずいても平気です」
 浴室は展望風呂になっていて、東京湾の夜景が一望できる。
「うわぁ」
 園子さんが声をあげた。おれは、園子さんに寄り添ったまま、しばらく一緒に夜景を眺めていた。こうしていると、まるで恋人同士だが、おれの方が寄り添っているというのが、ちょっと不満。どうせなら、男として、園子さんに寄り添われてみたいが、今はこれが精一杯。
「ねえ、ここって、覗かれたりはしないの?」
「外からは見えないようなガラスになってると思いますよ」
 おれと園子さんは、並んで体を洗い出した。おれは、女の風呂の作法がわからない。双葉の記憶もあるにはあるが、シャワーのときみたいにグラビア用のポーズかもしれないので、信用できない。仕方がないので、園子さんをちらちら横目で見ながら、同じように洗っていく。まず髪を洗い、顔を洗う。髭を剃らないというのは、不思議な感じだ。首筋から腕と、基本的には、上から順番に洗っていく。
 で、当然のごとく胸にたどり着いた。園子さんは、胸も他の場所と同じように淡々と洗っているが、おれはそうは行かない。園子さんよりも小柄なおれだが、胸の表面積は、おれの方が圧倒的に大きいのだ。
 おれは、ボディソープでおれの大きな胸を洗っていく。巨乳が泡まみれになった。おれが手を動かすたびにその形を変えていくのはなんともエッチな光景だ。胸を持ち上げて、乳房の下もくすぐるように洗う。やっぱり気持ちよかった。
「向こう向いて。背中洗ってあげるから」
 おれが胸を洗い終えた頃を見計らったかのように、園子さんが声をかけてきた。
「ええっ、恥ずかしいです」
「何を女同士で恥ずかしがってるの。ふたりで洗いっこした方が、きれいに洗えるでしょ」
 ということは、この後、おれが園子さんの背中を洗うんですか? いいんですか、そんなことして?
 おれは、断固として断ろうかと思ったが、園子さんの背中に思う存分触れるという誘惑に負けてしまった。
「お願いします」
 園子さんは、おれの背中をゆっくりと丁寧に洗ってくれた。上は、洗い髪を掻き分けて首筋の辺りから、下はお尻の割れ目の近くまで。
「緊張してるの?」
「だって、こんな風に洗ってもらったことないですから」
「えっ、ご主人とは一緒にお風呂入らないの?」
 入ったことはある。洗われたことも、多分ある。でも、それは双葉の頃の話だ。
 結局、おれは背中を洗われている間中、真っ赤になって小さくなっていた。
「はい、交代」
 背中をひとつポンと叩かれた。ひとつ大きく深呼吸してから振り向くと、園子さんは、既に向こうを向いて足を洗ったりしている。しまった。先に振り向くべきだった。園子さんの背中越しに見える細くて長い足がとてもきれいだ。
(なんて、無防備)
 おれは、このまま園子さんを押し倒しちゃおうかと思った。女の体だから、押し倒したって、何もできないんだけど。
「どうしたの?」
 園子さんが振り向いて言った。おれが、そんなことを考えてるなんて、思ってもいないような笑顔。
「い、今洗います」
 おれは、園子さんがやったように、背中をゆっくりと丁寧に洗い出した。園子さんの肌は、30代とは思えないぐらい、つるつるできれいだった。おれは、そのきれいな背中に頬擦りしたくなる。右手で洗い続けながら、左の頬をゆっくりと背中に近づけた。
(園子さん、きれい……)
 おれが園子さんの背中で頬擦りをすると、園子さんが慌てて振り向いた。
「双葉さん、大丈夫?」
 おれが顔を上げると、園子さんの目は真剣。仕事中の目だった。
「は、はい」
 おれの顔を見て、園子さんはほっと一息ついた。
「ああ、よかった。急に手が止まったから、意識を失ったのかと思った」
 この人、やっぱり凄い。風呂で背中を洗われているときでも、おれのことを常に気にしてくれているんだ。
 そう思うと、結局その後は何もできなかった。
 ようやく体を洗い終えて、湯船につかる。眼下に広がる夜景が美しい。
「あーっ、気持ちいい」
 お湯の中に体を沈めると、体が楽になるのがわかる。Gカップのバストがお湯に浮くからだ。
 これまで1日の大半をベッドで寝て過ごしていたのでわからなかったが、実際に生活してみると、Gカップのバストは結構重い。よく、テレビで巨乳アイドルが胸が重くて肩が凝るということを言っているが、その気持ちがよくわかった。これから先ずっと、常にこんなものを体の前にぶら下げて生活していかなくてはならないのは、大変だと思う。
 それが、風呂の中だけは、ちょっと休憩タイム。胸がお湯に浮くので、随分軽くなった気がする。もうずっとお風呂の中で暮らしていけたらいいのに、とおれは思った。

 風呂を上がると、2つある洗面台で並んで、髪の手入れ、お肌のお手入れ。
「若いうちからやっておくことが大切なんですよ」
 31歳の園子さんは、24歳になったばかりのおれに、それがどんなに重要なことかを懇々と説いた。ファーストフードばかり食べてたら駄目なんですよ、とも。
 ああ、やっぱり園子さんは、努力の人なんだ。きっと、あのきれいな肌も園子さんの努力の結晶なのだろうと思う。
 風呂上りには、園子さんとお揃いのパジャマを着た。黄色くてちょっと子供っぽい奴。来客用にいくつか用意してあったパジャマのひとつだ。園子さんはちょっと恥ずかしがったけど、着てくれた。なかよしのお姉さんと妹という感じで、何だか楽しかった。もう、この頃になると、おれが妹でもいいやという気になってきた。
 基本的に、園子さんはずっとおれに付き添ってくれることになっている。例外は夫が帰ってきたとき。おれは夫と過ごし、園子さんには、園子さんの個室として使ってもらう来客用のベッドルームで休んでもらう。
 ただ、この日は夫が出張で帰らない。そういうときは、園子さんはずっとおれと一緒にいることになる。寝るときも園子さんはおれと同じ部屋にいる必要があるのだが、おれの隣の夫のベッドで寝るわけにもいかない。結局、おれが園子さんの個室になっている来客用のベッドルームで寝ることになった。一応、ベッドは2つあるから、添い寝してくれるわけではない。

 病院で鎮静剤を打たれて眠っていたおれが、目を覚ました。双葉のおれは、園子さんのベッドルームに入ったところだ。
 2つめの体が動き出したからといって、別段変わったことはない。おれが動かす体が、1つから2つに増えた。それだけのことだ。
 だが、このときは、少々様子が違った。
(何やってるんだ、おれ)
 おれは、愕然とした。
 ちょっと待った。今までのナシ。そう叫びたい気持ちになった。
 おれは、病院のおれが眠ってからの行動を反芻してみる。

 新人医師を色仕掛けでからかった。
 買い物のとき、園子さんの胸を触った。
 自分のDVDを見ながら、下着姿でポーズを取りまくった。
 お風呂で園子さんの背中に頬擦りした。

 たった数時間の間に、これだけの乱行に及んでしまった。
 それだけじゃない。未遂に終わったが、危うく包丁で自分の指を切り落とすところだったのだ。
 今だって、このパジャマ姿は何だ? これから何をするつもりだったんだ? 答えはわかっている。パジャマで子供っぽく見せて、眠れないとか言って、園子さんに添い寝してもらうつもりだったのだ。
 なんてことだ。
 大体、おれは園子さんとは、少しでも知的な会話を楽しめるように、大人っぽく見せようと思っていた筈だぞ。それがいつの間にか、完全に妹みたいに振舞っている。大人っぽいどころか、園子さんは、おれのことを精神年齢がティーンエイジャーのガキだと認識してしまったに違いない。今後、永久に子ども扱いされる可能性が大だ。これから、どうしたらいいんだ?
 おれは、頭を抱えたくなった。双葉の体でも、元々のおれの体でも。
「双葉さん、気分でも悪いの?」
 さっきまではしゃいでいたおれが、急に塞ぎこんでしまったので、園子さんが心配して声をかけてきた。声をかけられても、今のおれには、返す言葉もない。
「双葉、疲れたから、寝ます」
 おれはそれだけ言って、園子さんの隣のベッドに潜り込んだ。取りあえず、寝てしまう、以外の対処を思いつかなかったのだ。本当は、まだ眠くなかったのだが、一刻も早く布団の中に逃げ込みたい気分だった。
「そう。実質、今日が退院初日みたいなものですから、疲れましたよね。――それじゃ、おやすみなさい」
 園子さんは優しくそう言って、おれの掛け布団を直してくれた。
 はしゃぐだけはしゃいで、疲れたらすっと寝てしまう。きっとまた、まるで子供みたいだと思われたに違いない。
 園子さんが部屋の明かりを落としてくれたが、おれはなかなか寝付かれなかった。昨夜もそうだったが、双葉のおれは、夜になるとあっという間に眠りに就いてしまうのだが、今日はどういうわけかなかなか眠れない。その間中、自分がしでかしてしまったことが、何度も何度も鮮明に思い返されて、後悔ばかりしていた。結局、双葉のおれが眠りに就いたのは、ベッドに潜り込んでから1時間近くも経った頃だった。

 双葉の体が眠りに就くと、また、おれが動かす体が1つに減る。この感覚にも慣れた。双葉の体が眠ってしまうと、「覚醒」状態の双葉の脳から、凡人のおれの脳へと切り替わる。これも、特に違和感はない。覚醒した双葉の脳は、使えれば便利だが、使えなければそれはそれで困ることもない。少なくとも、おれの体だけを動かす分には。当然だ。これまで、40年以上、おれはこのスタイルで生きてきたのだから。
 双葉の方のおれが寝ると、病院のおれはひとりで考え始めた。今日の出来事については、なるべく早く考えをまとめておかなければならない。明日からどう行動するか? 今日のことに一定の評価を出しておかないと、それすら決められなくなる。
 まず、以前から気になっていたことについて、考えてみた。それは、おれが起きているときと寝ているときでは、双葉の行動が違ってきているということだ。
 例えば、双葉の脳が覚醒したあの夜。おれの体が眠り、双葉の体だけで起き出したおれは、いきなりオナニーを始めてしまった。あの行動は、今考えるとおかしい。もちろん、おれだって男だから、あんなきれいな女になってしまったら、裸を見てみたいし、胸を触ってみたいとも思う。だが、おれだったら、思うだけの筈だ。正直言って、おれはそこからの一歩を踏み出せない小心者なのだ。でも、あのときは、いとも簡単に一線を越えてしまった。どうしようかと、迷うことすらなかった。
 今日でも同じことが言える。双葉の体だけで動いていたおれは、おれの感情の赴くまま、快楽に向かって突き進んでいた感がある。まるで、そのとき、双葉の体を動かしていたのがおれではなかったかのように。
 もちろん今のおれには今日の双葉の行動についての記憶がすべてある。結果として、本来のおれには似つかわしくない行動になってしまったが、おれがやったことは、おれが心の底では望んでいたことであることも間違いない。若い看護師の前でおれに恥を掻かせたあの新人医師に仕返ししてやりたい気持ちはあったし、園子さんの体に触ってみたいという思いは大いにあった。双葉が出したDVDを見てみたいとはずっと思っていたし、DVDの中の双葉と同じポーズを取ってみたいというのも以前から考えていたことだ。
 確かに、あのときのおれは、おれの意思でおれの欲望に沿って行動していた。それは間違いない。
 問題は、おれの行動に歯止めが利かなくなったことだ。
 人間、誰だって、欲望のままに行動していたら、大変なことになる。そのために、理性とか自制心というものがあるのだが、おれが寝ているときの双葉の体のおれには、それが著しく欠けているのだ。

 双葉の覚醒した脳を使いこなせるようになった頃、おれは、天才にでもなった気でいたのだが、それは大きな間違いだった。双葉の脳は、他人より記憶力がよくて、計算が速くて、同時にいろんな考え事ができる。言ってみれば、ただそれだけのことだった。
 別に、ニュートンやアインシュタインのような凄い科学者になったわけでも、シェークスピアやモーツァルトのような偉大な芸術家になったわけでもないのだ。さすがに、おれのような能力を持った人間は他にはそうはいないだろうが、おれのような能力を持った機械ならいくらでもある。そう。コンピュータがそれだ。コンピュータは、ハードのスペックがいくら高くても、ソフトがショボかったら、ろくな仕事はできない。
 おれも、同じだ。正直言うと、「双葉」というソフトは、最低に近い。Windowsの時代に、MS-DOSで動いてるんじゃないかというレベルだ。
 おれが入る前の双葉の記憶は、はっきりとした記憶が得られないことが多い。こんなおぼろげな記憶だけで、よく生活していたものだと思う。それを見る限り、どうやら九九もあやふやだったらしい。当然、割り算なんてできやしない。携帯はあっても、メールはほとんどしなかったようだ。漢字が読めないから。実際、あんなに双葉にぞっこんの夫だが、メールはほとんど来ない。電話もあまりない。双葉は、目の前にいて、かわいい顔やセクシーな体を見ていてこその女なのだ。電話で話しても、楽しい女ではない。
 そもそも、双葉をグラビアアイドルとして冷静に見た場合、DVD2枚程度で消えるようなレベルじゃないと思う。事務所の力などもあるのだろうが、これだけの顔とスタイルだ。もうちょっと売れていてもよさそうなものだと思っていたのだが、今日のDVDを観て、よくわかった。顔とスタイル以外のものがまるっきり欠けていたのだ。
 DVDの中で、双葉の取っていたポーズは、ほとんどが簡単なポーズばかりだった。体が硬いので、複雑なポーズは取れないのだ。見せる表情も笑顔ばかりで、それも引きつり気味。正直、自分のDVDでなければ、途中で飽きて観るのをやめていたと思う。きっとカメラマンは双葉の魅力を引き出そうと様々な努力をしてくれたのだろうが、双葉はそれすら理解できなかったに違いない。そう言えば、こういうDVDには、主役の女の子のトークが入っていたりするものだが、今日見たものには、双葉が喋るシーンは一切なかった。おれの中には、カメラに向かって他愛もないことを喋ったような記憶が残っているのだが、結局、喋りも面白くなくて、ボツになったということかもしれない。
 まあ、今日のはデビュー作だから大目に見てもらえたとしても、次回もこれでは、その先はない。多分、3枚目のDVDが出なかったということは、あまり進歩しなかったのだろう。
 率直に言って、今の夫が双葉に笑顔と豊満な体以外に何も求めない男でよかったと思う。実際、遊びで抱くにはいいが、一緒に暮らすとなると、頭は悪いし、運動神経はないし、不器用だしと、いいところは何もない。夫は、忙しい男で、家にはセックスと睡眠のために帰るという生活だったようだから、不満も出なかったのだろう。
 そう言えば、夫はおれに決して料理をさせようとはしない。以前からそうだったようだ。朝出て行くときも、どこかのカフェで朝食を取っていくらしい。入院していた頃、「退院したら、朝ごはんぐらい、双葉が作ってあげるよ」と、甘えた声で言ってみたことがある。いつもだったら、おれのことがかわいくて仕方がないとばかりに、笑って頭を抱き寄せてくれたりするのに、そのときだけは怯えた顔になった。あれだけはもう勘弁してくれ、という顔だ。
 かつての双葉は、夫に一体何を食わせたというのだろう?
 双葉の記憶を辿ってみても、それらしい記憶は見つからなかった。双葉は無自覚のうちに恐ろしいことをしたらしい。
 ひょっとしたら、今日の包丁の一件だって、初めてではなかったのかもしれない。

 まず、おれがしなくてはならないことは、双葉の体のおれの暴走を止めることだ。
 今までの経験からすると、おれの元々の体が起きてさえいれば、おれは、双葉の行動に歯止めをかけることができる。少なくとも、今日のようなことにはならない筈だ。
 幸い、双葉はおれよりも圧倒的に睡眠を多く取る。双葉の睡眠時間を普通の人並みにするのが医師たちの目標のようだが、退院後間もないうちは、慣れない生活で疲れもあるだろうから、なるべく寝たいだけ寝させておこう、ということで、医者と園子さんが相談した結果、まとまったようだ。ただし、病院でやっていたみたいに、短時間で寝たり起きたりを繰り返すのではなく、まとめて眠ること。一旦寝たら、寝たいだけ眠らせて、起きたら、夜になるまでは眠らせない。そうしているうちに、起きている時間を長くしていこうという戦略のようだ。
 ということは、おれは、双葉が延々眠り続けている間のどこかで眠ればいいことになる。まあ、今の入院生活だったら、消灯の後に寝て、朝起きるという普通の生活をしていれば、双葉だけが起きているという事態には滅多にならないだろう。気をつけることといったら、おれが昼寝をしないことぐらいだ。
 当面は、それでいいとして、将来的なことも考えておかなくてはならない。
 大体、元々のおれに万一のことがあったらどうなるか、考えただけで恐ろしい。おれが死んで、双葉の体だけが残されたら、おれは、妙に記憶力だけはいい馬鹿女として残りの人生を生きていかなくてはならない。
 今はいい。おれは若いし、きれいだし、スタイルもいい。夫は金持ちで優しい。
 だが、こんなことがいつまでも続くわけがない。「ダーリン、愛してる」と上目遣いに言っておけば、夫の心はいつまででもつなぎとめておけるなんて思ったら、大間違いだ。特に、双葉の好物ばかり好きなだけ食べていたら、体に悪いし、何より、間違いなく太る。ただでさえデブと巨乳は紙一重なんて言われているのだ。ぶくぶくに太ったおれを夫が今までみたいに可愛がってくれるとは思えない。
 金だって、夫は時価総額で10億円相当もの株を持っているが、こんなものは、本当に当てになるかどうかわからない。特に、消長の激しいネットビジネスの世界では、事業に失敗して、あっという間に財産をなくすということだって考えられる。それ以上に怖いのは、双葉の体のおれが騙されて、折角の財産を失うことだ。おれが歯止めをかけてやらないと、馬鹿な双葉のおれが、うまそうな話にホイホイ乗って、財産を搾り取られるという様が目に浮かぶ。
 我が家の財政事情については、一度夫に訊いてみる必要がありそうだが、いずれにしても、双葉が騙されようが、間違えようが、財産を失わないような仕組みにしておくことが肝心だ。
 美貌の維持ということであれば、幸い、今は傍に園子さんがいる。双葉がいつまでもきれいでいるために、何をすべきか。彼女に1から教えてもらおう。いや、教えてもらうのではない。躾けてもらうのだ。厳しくてもいいから、園子さんがいる2ヶ月の間に、おれを大人の女として躾けてもらうよう、明日早速頼んでみよう。目標は、7年後。31歳の双葉が今の園子さんよりもきれいな肌でいられること。決めた。そうしよう。
 園子さんには双葉に刃物を絶対に持たせないようにとも頼んでおかなくてはならない。おれも、双葉のときは刃物を持つことはやめる。近づくこともしない。本当は、園子さんから料理のひとつも習いたいところだが、今日のようなことがあっては、包丁なんて危なくて持てない。しばらくは、料理は見て憶えるだけだ。
 それにしても、園子さん。最初は上品でおとなしい人かと思っていたのだが、打ち解けてくると、意外と活発な人でちょっと驚いた。DVDを見ているときに、いきなり下着姿になったのにはびっくりしたし、その後も、平気でおれの裸を見たりしてくる。
 ひょっとして、女同士というのは、こういうノリなのだろうか?
 多分、違う。きっと、園子さんは、看護師という職業柄、他人の裸に対する感覚が麻痺しているのだろう。何しろ、看護婦といえば、男の下の世話をするためにペニスを触ったり、手術に邪魔になるからと言って男性の陰毛を剃ったりすることもあると聞く。そんな仕事をしてきた人からしたら、同性の裸を見ることなんて、「ふーん」ぐらいの感覚なのかもしれない。
 いずれにしても、園子さんが看護師としてのプロ意識の高い人であることは間違いなさそうだ。今日の風呂場でのこともそうだし、昼間におれがシャワーを浴びているときに、たびたび様子を見に来たというのも、おれに問題が起きていないかを常にチェックしてくれているのだろう。 そうそう。園子さんの前では、胸の大きさに関する話題だけは避けた方がよさそうだ。余程、小さい胸にコンプレックスを抱いているのだろう。個人的には、小さくても、とてもきれいな胸だと思うのだが。
 園子さんは、胸の話のときだけは、別人みたいに冷たい目でおれを睨んでくる。ひょっとして、女性の間では、自分よりも胸の小さい人の前では、胸の話はしない、というような紳士協定ならぬ淑女協定でもあるのだろうか?
 どちらにしても、、今日のおれはいくらなんでもはしゃぎすぎた。女同士であることを悪用して、園子さんの体に触りまくった。包丁のこともあるし、胸のことでも園子さんを傷つけたに違いない。
 明日は園子さんにはとことん謝っておこう。

 双葉の方についてはそのぐらいだろうか。やはり、実際に生活していくとなると、思ってもみなかった様々な問題が出てくるものだ。
 おれの方は、今日の一件で、また、退院から遠のいてしまったことだろう。これでは、当面の目標である相部屋行きも、見えてこない。
 明日以降の問題は、何と言っても、双葉のシャワーと入浴だ。正直、双葉のヌードなんて、おれには刺激が強すぎる。今日も、結局それで興奮しすぎてあんなことになってしまったわけだが、明日もそうならない保証はどこにもない。
 風呂についても、今日はたまたまおれが眠っていたからよかったものの、園子さんと背中を流し合ってしまったわけで、おれが起きていたら、どうになってしまっていたか、わからない。しかもこれは、双葉の体のおれが暴走した結果ではなく、園子さんの方からそう言ってきたことなのだ。ということは、明日も同じ状況になることは間違いない。そのとき、病院のおれは、耐えられるだろうか?
 とにかく、風呂もシャワーも、自分の裸をなるべく見ないようにする。それしかない。体にも触らない、というのが一番いいのだが、それはさすがに無理なので、ひたすら実務的にてきぱき手を動かして、おれが性的興奮を感じる暇を与えない。
 あと、できるだけ、双葉の体でのシャワーを、病院での検診・検温の時間とずらすようにする。ベストは検診・検温が終わった直後にシャワーというものだが、これは難しそうだ。病院での検温はいつも同じ時間に行なわれるし、通院の時間を考えると、シャワーの時間はあれ以上遅らせることはできない。いっそ、シャワー自体をなくしたらと思うのだが、園子さんが許してくれるかどうか。
 幸い、風呂の方は夜なので、夕食後の検温時間よりも後に入れば大丈夫だろう。
 本当は、風呂やシャワーのとき、おれが眠っていれば、おれが興奮してしまうことはなくなるのだが、それでは、今日のように双葉の体のおれの暴走を止めることができなくなってしまう。ジレンマだった。

 もうひとつ、不安なことがある。
 それは、双葉の脳がおれの体に働きかけるとき、どうやら手加減をしてくれないということだ。
 昨日、いきなり病院中を走り回ったおれは、今日は筋肉痛で起き上がることすらできなかった。この分だと明日もどうなるかわからない。感触としては、当分の間起きられない程、体のあちこちにダメージを受けている。
 いくらなんでも、ここまでの筋肉痛はないだろう、という状態だ。
 昨日のおれは、あの連絡通路への最後の階段を上る途中の踊り場で、とっくに限界を迎えていたのに違いない。踊り場から、最後の10数段は、まさしく気合で駆け上ったという感じだったが、これは、いわゆる「リミッターがはずれた」状態という奴ではなかったろうか?
 人間は通常、身体能力を100%発揮できるわけではない。そんなことをしたら、体を壊してしまうため、ある程度のところで制限をかけているのだ。ところが、人間は極限の状態に追い込まれると、そのリミッターが外れて、物凄い力を出すことがある。「火事場の馬鹿力」という言葉がそれだ。
 あのときのおれは、まさにそんな状態だったのだろうと思う。
 問題は、リミッターを外したのが誰かということだ。おれがそんな状況に追い込まれて、自分でそれをやったのなら、まだいい。だが、双葉の脳が、おれ同士を会わせるという目的のために、おれのリミッターをひょいと外して見せたのだとしたら、ちょっと怖い。双葉の脳が、おれの体をそこまで制御できるのだとしたら、おれの体は双葉の脳に酷使されて、最悪寿命を縮めかねない。
 そう言えば、以前のあの事件のときも、双葉の脳は、おれの体に無理矢理働きかけている。そう。双葉の胸をレズっ気看護師に触られたときのこと。双葉の脳が「きゃっ、やめて」と叫ばせる体を間違えたときのことだ。
 あのときも、双葉の脳はおれの脳などすっとばして、直接おれの体にキャンセルをかけた。あのときはあれで助かったのだが、あんなことをたびたびやられてたのでは、おれの体に過剰な負担がかかって、いつかは体が持たなくなるだろう。
 そもそも、昨日、おれがベッドから逃げ出して双葉のおれと会いに行ったのだって、おれの脳が発した命令とは思えない。あれなどは、まさしく双葉の脳によって引き起こされた突発的な行動だ。
 今日のシャワーだって、おれが検温を控えていることはわかっているのに、おれが性的興奮を覚えてしまうこともわかっているのに、おれは我慢できなかったのだ。とても、おれの行動とは思えない。
 こうして考えてみると、おれの体さえ起きていれば双葉の行動に歯止めをかけることができるというのは間違いで、実際には、おれの体ですら、知らず知らずのうちに双葉の脳の影響を受けているような気がしてきた。
 だとすると、さっき考えたことの意味合いが変わってくる。双葉の体が起きているとき、おれの体も起きていればいいというような問題ではなくなってくる。解決策も、ひとつしかない筈だ。
 双葉の脳がおれの脳と同じような自制心を持つ。
 結局のところ、今の状態では、おれの脳より、双葉の覚醒した脳の方が強大なのだ。実際問題、双葉の方から寝ているおれを起こすことはできるが、おれが寝ている双葉を起こすことはできないのだ。たとえば、現在の状況がそうだ。双葉が寝ているこの状態で、双葉の記憶を読み取ろうとしても、できないが、双葉の脳は寝ているおれの記憶を読むことができる。このことから考えても、明らかに双葉の脳の方が支配者的な立場にあるのだ。
 双葉の脳は、普段は、おれがかける歯止めをおとなしく受け入れているが、いつそれを振り切って暴走を始めるかわからない。いつ機嫌を損ねるかわからない支配者では、おれは、双葉の脳と脅えながら付き合っていくしかない。それができないというのだったら、双葉の脳が自分で自制心を身につけるしかない。それ以外に根本的な解決策は考えられない。
 では、どうやって?
 ……。
 おれは、黙り込むしかなかった。
 さっきから、「双葉の脳」とか言っているが、別に、おれの中に「双葉」というもう1人の人格がいるわけではないのだ。「双葉の脳」を使って動いているのも、間違いなくおれなのだ。
 明日になって、双葉の体が起きれば、双葉のおれは、おれが今考えてきたことをすべて認識できるし、賛同もする筈なのだ。同じおれなのだから。
 理屈は完璧にわかっているのに、抑えがきかない、というところに、この問題の根の深さがある。
 おれは、考えるのをやめた。
 取りあえず、双葉の体が起きているときは、おれも起きているようにする。
 当面できるのは、そのぐらいだ。
 そのために今のおれができることは、いつまでもあれこと考えていないで、さっさと寝ることだけだった。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル : 小説・文学

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04のあとがき

新キャラ登場と各種イベントの04です。

これまで「おれ」と夫の2人(3人?)だけでお話を進めてきましたが、退院したら、さすがにそれでは話が続かないので、もう1人増やすことにしました。
最初は、「マンションの最上階に住む謎の美女」みたいなのを登場させようとしたのですが、全快もしていないのに無理矢理双葉を退院させてしまったので(さすがに、あれ以上入院したままで話を進めるのは、わたしには無理)、付き添いの看護師さんということになりました。
本当は、名前は決めずに「看護師さん」と呼ぼうかと思っていたのですが、この人にはいろいろと活躍してもらわなくちゃいけなかったので、そのときの台詞が「ああっ、看護師さん!」なんてことにならないように、名前を決めました。
名前の由来は、多分マンガからですね。そのマンガも、中年の男が金持ちの若妻にされるという話です。

基本的に、この作品では、極力人に名前をつけないようにしています。「おれ」も夫も名前は決めてありません。双葉が夫を「ダーリン」なんて呼ぶのも、名前を言わなくていいようにするためですね。できれば、双葉も園子さんも名前なしにしたかったくらい。
苦手なんですよね。名前をつけるのが。
昔書いてた小説で、気付いたら、出てくる女性の名前が全部近所に住む女性の名前というのに気付いて、愕然としたことがあります。

イベントの方は、それはもう楽しんで書かせてもらいました。
このジャンルに限らず、「主人公が何でもやりたい放題」というお話には魅力を感じませんので、どこかに制約をつけないとと思っています。ウルトラマンのカラータイマーみたいなものですね。それが入院や園子さんとの共同生活なわけですが、ここでのイベントは、結構やりたい放題です。
このままにしておくと、収拾がつかなくなるので、「双葉の暴走」というものを新たな制約としてあげました。
結果的には、「双葉の暴走」のおかげで、お話が(都合よく)進めやすくなりました。
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