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呪遣いの妻 14

 物凄い違和感に襲われた。
 まず、部屋が急に狭くなった。目の前の妻が小さくなり、おれの隣にいた「おれ」の姿をした小娘が消えた。代わりに、反対側に小柄な少女が出現した。
(おれがいる)
 少女を見て、瞬間的におれはそう思った。おれの深層意識は、いつの間にかこの小柄な少女のことを自分だと認識するようになっていたらしい。隣に座る少女の姿を見て、まず最初に思ったことは、「おれがもう1人いる」ということだった。
 もちろん、そこにいるのはおれではなく、おれと体を交換した――元の体に戻った――小娘だった。少女は、しばらく焦点の合わない目でぼんやり前を見つめていたが、やがて、隣にいるおれの存在に気付いたようだ。
「あれ? あたし?」
 少女の口から言葉がこぼれた。小娘が慌てて自分の口に手を当たる。きっと、自分の声が少女のものだったことに戸惑っているのだろう。
 少女は、目の前にある自分の手を見ていた。
「なにこの手? 白くて、細くて……。あたし、何だか、小さくなって――」
 少女は、頬に自分の手を当てて滑らせると、そのなめらかな肌に、驚きと、わずかな恍惚が入り混じったような表情を見せた。
 小娘は、自分の体がさっきまでと違っていること確かめるために、さわさわと自分の体をまさぐっていた。小娘の白い手が、Tシャツの上からふくらみの乏しい胸を触る。下半身に目を落とすと、短パンの先からすらりと伸びている2本の細くて白い脚に唾を飲み込み、短パンの上から股間に手をやった。
「ない」
 少女が声を発した。小娘は、自分の体に戻ったというのに、まるで他人の体になったかのような反応を見せていた。
 戸惑いながらも、小娘の中には、精力旺盛な男だったときの欲求が残っているのか、少女の体への興味を抑えきれないようだった。
 小娘は、Tシャツの裾を捲り上げて、中に自分の右手を入れた。
「ふぁ」
 少女が声を漏らす。Tシャツの中で、何かが蠢いているのがわかる。きっと、自分の手で自分の胸に触れたのだろう。
「ひゃっ。な、何、これ。こんなに小さいのに」
 小娘はTシャツの中で、自分の小さな胸を揉みしだいているようだったが、やがて、それだけでは満足できなくなったのか、短パンの中に手を突っ込んだ。
「あんっ」
 少女が、艶かしい表情になって、喘いだ。
「何、今の? あたしの声? なんで、こんな感じちゃってるの? 何か、全然違う。この体、全然力入らない」
 小娘は、少女の感じやすい体に、翻弄されているようだった。
 そういうおれも、1ヶ月ぶりの自分の体に戸惑っていた。
 まず、小娘とは逆に、おれは、自分の体から力がみなぎってくるのを感じていた。おれの全身から力が溢れ出てくるような感覚は、高揚感とか爽快感とか、そういう感覚とはちょっと違って、むしろ、怖いような感じで、ちょっと不安な気がした。自分の中にみなぎってくる大きな力の向け先がわからなくて、恐ろしさを覚えるのだ。
 おれは、自分の――今のこの体についている手を顔の前に持ってきた。
 これが、自分の手だなんて、信じられない。そこにあるのは、太くてごつごつした指。白くて細くてきれいな指ではなくなっている。
 おれは、その手で自分の胸に触ろうとしたが、手が触れる直前で止まった。触れるのが何だか怖かったのだ。
 元の体に戻っただけだというのに、おれは、自分の体に強烈な違和感を感じていた。1ヶ月もの間、華奢で小柄で非力な女の子として暮らしてきたのだ。それが、突然、大柄で力強い男の体になってしまったら、戸惑うに決まっている。男の体なんて、怖くて触れない。正直、そう思った。
 全身違和感の塊と化しているおれの体の中でも、際立って違和感を主張しているものがあった。
 それは、さっきまでのおれの体にはついていなかったものであり、かつては、おれをおれたらしめる根源と言ってもいいようなものだった。
 だが、今のおれに取っては、その存在は、「異物」としか言いようがないものだった。その「異物」は、おれの股間にふてぶてしく居座っていた。ただ、そこにあるだけならば、おれもここまでの違和感を感じることはなかっただろう。あろうことか、その「異物」は、破裂しそうなほど怒張しきっていたのだ。
(小娘の奴、勃起した状態で入れ替わりやがった)
 久々に感じる勃起の感覚。というか、こんなに凄いものだっただろうか? 今にも破裂しそうで、苦しいぐらいだ。何とか鎮めようとするが、どうしていいのかわからない。確かに自分の体についているものだというのに、自分のものだという感覚がまるでなかった。触ることはもちろん、目を向けることすら憚られて、おれは、とぼけたような顔で、天井あたりをキョロキョロ見回す他なかった。
「さて、今日はもう夜も遅くなりました。細かいことは明日の朝あらためて話し合うとして、今夜はここでお開きといたしましょう」
 おれと小娘との間の情報交換については、明日の日曜日の朝9時に再び場を設けることになった。
 小娘は、以前からの使用人部屋ではなく、おれが取ってあったホテルに行くように仕向けてやった。久しぶりに、元の体に戻ったのだ。妻と過ごすに当たって、小娘は邪魔だと思ったからだ。あのホテルは、あと1週間ぐらいは予約が入れてある筈だ。小娘も、ここ1ヶ月贅沢な暮らしをしてきたので、今更使用人部屋には戻れないだろう。特に文句も言わず、タクシーを呼んで出て行った。
 屋敷には、おれと妻とが残された。
 おれは妻を抱いた。
 いや、抱いた、と言えるのだろうか?
 おれの股間に生えている「異物」が、勝手にやったことのような気がする。2人で寝室に入った途端、おれは、妻をベッドに押し倒していた。そのときのおれは、妻を抱きたい、と思っていたわけでもなかった。ただ、目の前にいる女の中に、おれの股間の「異物」をぶちこんでやりたい。そんな衝動に駆られただけだった。
 レイプするように妻の中に精を放っても、おれの股間の「異物」は鎮まってはくれなかった。おれは、続けざまに、妻を2度犯し、そこでようやく正気に戻った。
「お、おれは?」
 気が付いたときには、おれは、ベッドの上で妻を押さえつけているところだった。おれのペニスは力を失い、ようやく「異物」という思いは薄らいできた。それでも、股の間に変なものがぶら下がっている、という感覚は残ったままだったが。
「ご気分は、いかがですか?」
 おれの下で、妻が声を発した。
「おれは、どうしていたんだ?」
 妻が微笑みをたたえながら言った。
「久しぶりに元の体に戻って、体が欲望に支配されてしまったのでしょう。あなたさまは、1ヶ月も女の子の体でいたのです。それが突然、健康で精力漲る男性の体になったのですから、戸惑うのは当然です」
 そう言えば、今のこの体は、妻によって、精力絶倫となる呪をかけられたままなのだ。考えてみたら、かつて、おれがこの体でいたときには、続けざまに2回、なんてことは不可能だったが、さっきは、ほとんど意識もないまま、連続して妻を犯していた。
「あの娘も最初はそうでした。あなたさまと体を入れ替えた最初の晩、あの娘は男の欲望に支配されて、野獣のようにわたくしを何度も犯したのです」
「あいつが、お前を犯した、だと?」
「はい」
「許しがたいな。明日、来たら早速とっちめてやる」
「あら、わたくしのために、怒ってくださるのですか?」
「当たり前だ。大事な妻を他の男に犯されて、怒らない夫がいるわけないだろう」
 おれがそう言うと、妻は、「まあ、嬉しい」と言って、本当に嬉しそうに笑った。
「でも、そのことであの娘を責めてはいけません」
「なぜだ?」
「だって、あなたさまは約束したではありませんか。入れ替わっていた1ヶ月間のことは、すべて水に流す、と」
「これはおれのことじゃない。お前のことだろう」
「同じことです。それに、わたくしは、あなたさまが、わたくしのために怒ってくださったということだけで充分です」
 その後、妻に風呂に入ることを勧められた。今日、小娘がこの体で何をしていたのかはわからないが、服もろくに脱がずに妻を犯したので、汗だくになっていた。
 脱衣所で服を全部脱ぐのは、思っていた以上に恥ずかしかった。服の下から出てきた男の体は、元々のおれの体だったというのに、今のおれには違和感ありまくりだった。なるべく、自分の体を見ないようにおれは湯船に向かう。体を洗うなんてとてもできなかったので、体に湯をかけただけですぐに湯船に入った。
 湯船で温まりながら、おれはこの1ヶ月間のことを思い起こしてみた。少女として過ごした1ヶ月のことは、今でも鮮明に思い出せる。なのに、今、こうして、元の男の体で風呂に入っていることには、まったく現実味を感じなかった。
「失礼いたします」
 しばらく湯船で温まっていると、妻が入ってきた。もちろん、服も下着も何もつけてはいない。
「お体を洗わせていただきます」
 結婚してから、妻と一緒に風呂に入ることは珍しくなかったが、こんなことを言われたことはなかった。
「さあ、どうぞ。洗って差し上げますので、こちらへ」
 おれが無言でいると、妻は、おれが男の体に戸惑っているのを見透かしたように、そう言った。
 この1ヶ月間――少女の体でいた間の妻の体の印象は、おれよりも一回り大きくて、胸も豊かで丸みを帯びたものだったが、久しぶりに元の体から見る妻の裸体は、小さくて、Cカップの胸も物足りなく見えた。
 おれは、湯船から出て、妻に体を洗ってもらった。
「あの娘の体も、こうして洗ってやったのか?」
 おれが問うと、妻は、少し笑った。
「まさか。どうしてわたくしが侍女の体を洗ってあげなくてはならないのです? こうしているのは、あなたさまだからです」
 洗われているうちに、股間のものが、また大きくなってきた。おれは、また股間の「異物」に支配される。我慢できなくなって、浴室で妻を抱いた。浴室に隣接して作った部屋まで妻を運ぶこともなく、その場で妻を押し倒し、股間の「異物」が妻の中で暴れまわった。
 これで3回目。まだまだ股間の「異物」は衰えを見せない。4回目のときは、少し理性を取り戻して、妻を浴室に隣接して作った部屋のベッドまで運び、そこで抱いた。ようやく、男としてセックスをした、という気持ちになった。
「なあ」
 4回目の後、ベッドにふたりで横たわっていたときに、思いついたことを妻に訊いてみることにした。先刻、ひとりで湯船に浸かっているときにふと思いついたことだ。
「投資ファンドがあの電機メーカーを狙っているという怪情報が複数の銀行筋から流れていたんだが、あれは、ひょっとして、お前がやったことなんじゃないのか?」
 そう言うと、おれの横にいた妻が、「まあ」と言って、にこりと笑った。
「どうしてそうお考えになりましたの?」
「前から不思議だったんだ。銀行が噂を流しているのは間違いない。だが、そんな投資ファンドが電機メーカーを狙っているという事実はどこにもない。秘書に調べさせたが、噂の出所はわからない。恐らく、政治家か財界の大物といった影響力のある人物から出てきた話なのだろうが、そんなことをする意味がわからない。ただ、あの噂によって、電機メーカーの現経営陣――特に、社長派は、長年にわたる経営不振を指摘されるということで、急速に求心力を失ったというのは事実だ。どちらにしても、おれの会社にとっては好都合だったわけだ。事実関係だけ見れば、おれの会社の誰かが噂を流したとしか考えられない。おれの会社とその関係者の中で、大物政治家との関係を持っている人間は、1人しか思いつかなかった。お前だ」
 おれと妻との披露宴には、総理大臣や閣僚も出席していた。このうちの誰か――あるいは複数の人物――が妻に頼まれて嘘の噂を流したのだろう。
「さすがは、あなたさま。よくそこにお気付きになられました」
 妻は、まるで生徒をほめる教師のようにそう言った。
「どうしてそのことにお気付きになられたのですか?」
「さっき、元の体に戻る前に、『お茶会』をやっただろう。それで、思い出した」
 妻が子供のころ、英才教育のため「お茶会」と称して各界の一流の人間を招待することを行なっていたという。その中には、現在、政界や財界の実力者となっているものもいるだろう。おれたちの披露宴には、政界の大物が何人も出席していたが、彼らの一部は、そのときからの付き合いだった可能性がある。あるいは、妻は、彼らを「お茶会」のときに「家来」としてしまったのかもしれない。
 そんなこと言うと、妻は、笑ってこう言った。
「あなたさまは、呪の力を買い被りすぎです。たかだか1度お茶を飲んだぐらいで権力者たちを家来にできるのでしたら、わたくしの家は、反映と没落を繰り返すような家ではなく、簡単に天下を取っていたでしょう。確かに、『お茶会』で出会った方々に、今回の噂を流すことをお願いしたのは事実です。でも、それは、あくまで『お願い』。『命令』などではありません。わたくしと、あの方々との関係は、知人、といったところでしょうか。わたくしが出向いていけば、スケジュールに余裕があれば会ってはくれますし、直接お願いをすれば、多少のこと――そうですね。たとえば、電話を1本かける程度のことはやっていただけるということです。もちろん、あなたさまの会社に取って有利な判断をするよう、圧力をかけていただく、などということはできません。世間話のついでに、どこかの投資ファンドがどこかの電機メーカーを狙っている、という話題を出していただくという程度のことでしたら、なんとかしていただけると思いますが」
「だが、どうしてそんなことを」
「決まっているではありませんか。あなたさまの会社に取って、少しでも有利になればと思ってのこと。あなたさまのためでなければ、わたくしも動いたりはいたしません」
 やはりそうだった。あの投資ファンドの噂話を流していたのは、妻だったのだ。気付いてしまえば、どうして今まで気付かなかったのか、不思議に思えるようなことだ。
「だったら、もう1つ」
 おれは、さっき思いついたことを訊くことにした。
「おれの会社の提案に賛成してくれたIT企業の女社長とは、面識があるのか?」
 最終的に電機メーカーがおれの会社の提案を受け入れたのは、IT企業の女社長が賛成に回ってくれたからだ。となると、彼女も妻とつながりがあったのでは、と疑いたくなる。
「あなたさまは、何でもお見通しですのね」
 妻は、そう言って、おれの方を見て笑った。
「あの方にはじめてお会いしたのは、もう10年以上も前のことでした。『お茶会』で、彼女のお父さまに会いに、名古屋のお屋敷まで出かけて行ったのです。当時から、あの方のお父さまは、この国でも有数の資産家でした。わたくしは、小学生の低学年だったと思います。他所の家での『お茶会』はそれまでにも何度かありましたが、新幹線に乗って出かけたのははじめてでしたので、よく憶えています。彼女のお父さまは、当時既に還暦を過ぎていましたから、まだ子供だったわたくしは、随分年を取ったおじいさんだなあ、と思ったものです。今は、70代半ばになっておられるでしょうか。財産はほとんど1人娘のあの方に譲ってしまって、名古屋のご自宅で、悠々自適の生活だと聞いております。
 当時は、あの方はまだ中学生。『お茶会』が終わり、広大な屋敷の庭を散歩しているときに彼女と出会いました。
『呪って、何ができるものなの?』
 あの方は、小さいわたくしに向かって、いきなりそう言いました。当時の彼女は15歳ぐらいだった筈ですが、小学生のわたくしには、大人との区別がつきませんでした。
 わたくしは、驚きました。だって、わたくしの一族以外の人間から、『呪』という言葉を聞いたのは、はじめてだったのですから。『お茶会』のお相手のほとんどは、わたくしが持つ力のことは、何も知りませんでした。単に、お父さまが相応の謝礼をお渡しして来ていただいた方だったのです。後になって知ったことですが、『呪』について知っているのは、この国でも極めて中枢に近いほんの僅かな家の者だけだそうです。あの方の家は、そういった家と婚姻を重ねることによって、中枢に近づいていったのでしょう。
 わたくしは、そのとき自分が使うことのできた呪をいくつか彼女に話しました。なるべく、当たり障りのないものを。彼女は、わたくしの話に興味を持って、『呪』について根掘り葉掘り聞き出そうとしました。
『あたしにも、その呪って奴をかけられるの?』
 彼女がそう訊いてきました。
『呪を使うには、わたしの侍女になってくれないといけいないの』
『侍女? ああ、家来みたいなもの? 嘘ね』
 もちろん、嘘でした。呪を施すには、相手がその呪を受け入れればよいのです。侍女や家来になる必要などありません。あのときのわたくしは、あの方を侍女にしてしまいたくて、そんな嘘をついたのです。すぐに嘘だとばれてしまいましたが。
 当時、わたくしが住んでいたこの屋敷は、建物も傷み、庭も荒れ果てていました。直そうにも、そのようなお金はなかったのです。ところが、彼女のお屋敷は、わたくしの屋敷の何倍もの敷地で、建物には壊れているところもなく、庭も美しく手入れが行き届いていました。それに、『お茶会』で出されたケーキのおいしかったこと。わたくしは、子供心に、こんなお屋敷のお嬢さまを自分の侍女にすれば、これから毎日、あんなおいしいケーキを持ってきてくれるのだと思ったのです。
『将来、あなたが困ったときに、あたしが助けてあげる。それで手を打たない?』
 彼女はそう言って、わたくしに持ちかけました。わたくしは、彼女の提案を受け入れ、彼女に呪を施したのです」
「呪って、どんな呪を?」
「そのとき彼女に施した呪は2つです。1つはおわかりになりますよね」
 すぐにピンと来た。
「例の、妊娠しなくなる呪だな」
 妻はうなずいた。
 以前、女社長がうちの会社に突然やってきたとき、小娘は、この女社長を抱いていいかと妻に確認を取ったと言っていた。妻の了承を得た上で、女社長を抱いたということだったが、よく考えてみたら、妊娠しなくなる呪が施されていなければ、妻がそれを認める筈はないのだ。秘書たちにすら、夫の子を妊娠することを許していないのに、女社長のようなこの国有数の資産家に、自分よりも先に夫の子を産まれたのでは、この先、どんなお家騒動の火種になるか、わかったものではない。
 これも、ちょっと考えたらわかるようなことだったが、今はじめて気付かされた。
 大体、女社長のようなヤリマンが妊娠したという話は聞かないし、小娘の話でも、避妊しているような口ぶりではなかった。秘書たち同様、妊娠しなくなる呪をかけられていたとすれば、納得がいく。
「もう1つの呪が何か、おわかりになりますか?」
 おれは考えたが、これと言うのは思い浮かばない。
「美人になる呪とか」
 適当に言ってみたが、妻に笑われた。
「美人と言っても、人それぞれでしょう。誰もが美人と思うような顔にする、というような都合のいい呪は存在しないのです。もっとも、あの方は、はじめて会った中学生の頃から、大変な美少女でしたから、今更これ以上美しくなりたいなどとは思わなかったでしょうが。――あの方が求めたのは、美少女になることではなく、美少女であり続けることだったのです」
「どういうことだ?」
 おれが訊くと、妻は、逆にこう訊き返してきた。
「あの方を最初に見たときに、どう思われました?」
「どうって……」
 美少女だと思ったことは、妻の手前、言わないでおく。
「歳の割りに若く見える、と」
「それが、呪の力なのです」
「え?」
「あの方の体内時計は、通常の人の1/3の速さでしか進まなくなっているのです。わかりやすく言えば、わたくしの施した呪によって、彼女は、3年に1歳程度しか歳を取らなくなっているのです。わたくしがあの方に呪を施したのが今から10年以上前の15歳のとき。それから10年以上が経過していますが、あの方の肉体は、4歳程度しか歳を取っていない筈です」
 呪とは、そんなことまでできるものなのか。
 道理で若く見えるわけだ。20歳か、下手したら高校生ぐらいにしか見えないと思っていたが、実際にそのぐらいの肉体年齢だったわけだ。
「ということは、彼女がおれの会社の提案に賛成してくれたのは、そのときの見返りということか」
「さあ、それはどうでしょう」
「どういうことだ?」
「あなたさまがあの電機メーカーの株を買い集めていたとき、わたくしは、あの方に、あなたさまの会社に協力していただけるよう、お願いいたしました。彼女は、独自に株を買い集めることには同意くださったのですが、協力を確約してはいただけませんでした。あなたさまの会社の実態や、社長の能力を見極めてから判断するとのことでした。彼女にしてみれば、わたくしの頼みとは言え、みすみす損をするような投資はできないということなのでしょう」
 当然、その約束がなされたのは、女社長が電機メーカーの株を買い集めはじめるよりも前。つまり、おれと小娘が体を入れ替えられるよりも前のことだ。だが、実際に彼女が「おれ」の人物を確かめるために「おれ」に会いに来たのは、小娘と体を入れ替えられた後のこと。
「ひょっとして、あの女社長は、おれたちの入れ替わりのことを知っていたのか?」
 もしもそうだとしたら、あのとき、小娘の体にいたのが本来のおれだということを女社長に知られてしまったということになる。おれの背中を冷たい汗が這った。
「ご安心ください。彼女はそのことについては、何も知りません」
 おれは、ほっと安堵のため息をついた。
 だが、それで問題がなくなったわけではない。
「ということは、彼女が社長の人物を見て判断する、ということを知っていて、中身が小娘の社長と会わせたのか?」
「仕方がなかったのです。わたくしの呪の力は、お二人を元に戻せるような状態には回復していなかったのですから。ただ、彼女があなたさまの姿をしたあの娘の人物を見て、提案に賛成しないと言ってきたら、そのときは、時間を稼いで、あなたさまに戻っていただいてからもう一度会ってくれるようにお願いするつもりでした。最悪、それでも賛成していただけない場合でも、あなたさまの会社に不利益にならないような約束は取り付けてありました。具体的には、あなたさまの買い集めた株をそれなりの価格で引き取っていただく、あるいは、彼女の株をあなたさまの会社で買い取る、ということですが」
 結局のところは、女社長は中身小娘の「おれ」と会い、小娘の「おれ」を経営者として認め、おれの会社の提案に賛成してくれたというわけだ。おれ自身の能力が認められたわけではないので、釈然としないものは残るが、おかげで、おれは次の電機メーカーの役員会で社長に就任することができるようになった。
「あなたさまでしたら心配はないとは思いますが」
 と妻が言った。
「あの方は、常に相手を見定めようと目を凝らしている方です。次に、お会いしたとき、自分が株主になっている会社の経営を任せるに足らないと見られますと、手のひらを返したように敵に回ることもあります」
「敵に回ると言われても、彼女から委任状も取り付けてあるんだぞ」
「ですが、ああいうお生まれの方ですから、大変プライドも高く、自分が辱めを受けたり、ないがしろにされたりというときには、損得勘定抜きでお怒りになることがあるようです」
「それは、お前の呪の力で抑えられないのか?」
「わたくしにできることは、あの方にかけた呪を解除することだけ。もちろん、こちらの言い分を通してくれないのでしたら、今かけてある呪は、すぐにでも解除いたします。交渉決裂という事態ですね。ですが、それ以上のことは、わたくしにはできないのです。新たな――たとえば、彼女の健康を害するような呪をかけるには、彼女の同意が必要なのです」
 女社長がそんなことに同意する筈はないから、新たな呪は効かないということになる。もちろん、歳を取らず、美少女のままでいたい(であろう)女社長にすれば、妻の呪を失うことは痛手であることは間違いないので、余程のことがない限り、妻と袂を分かつようなことにはならないだろうが。
 ただ、どちらにしても、女社長が、小娘の「おれ」のことを評価しているということ、そして、本来のおれ自身が女社長に会ったときに、その評価が覆されるかもしれないという可能性があるということには、おれは、苦いものを感じずにはいられなかった。
「そもそも」
 と妻は言った。
「侍女だの、家来だのという存在は、そう簡単にできるものではないのです」
「そうなのか?」
「ええ。あれは、一種の契約なのです。たとえば、あの娘は、ここに家政婦としてやってきたとき、身寄りがないも同然の孤独な娘でした。わたくしは、生涯にわたってあの娘の生活を保障し、あの娘を保護することを約束しました。その見返りとして、あの娘は、生涯わたくしに忠誠を尽くす侍女となったのです」
「生涯、か」
 確かに、そのような重い「契約」はおいそれと結べるものではない。
「今のところ、わたくしの侍女は、あの娘ひとりだけです。子供の頃、クラスでいじめられていた子を助けてあげる代わりに侍女としたことがありましたが、遊び半分でしたことでした。その子とは、もう何年も会っていませんので、今では侍女とは呼べないでしょう」
「では、秘書たちはどうなんだ? あいつらは、侍女ではないのか?」
「妾たちでございますか? あの者たちは、侍女というわけではありません。立場上、わたくしの配下にあるだけです」
「立場上というと?」
「あの者たちは、あなたさまの妾――側室でございましょう? わたくしは、あなたさまの正室。どんな家でも、正室が側室たちの上に立つのが道理。会社で言えば、わたくしが課長で、妾たちは課員というところでしょうか。課員が課長の指示に従わなければならないように、あの者たちがあなたさまの妾でいる以上、正室であるわたくしの申すことは聞いてもらわなければなりません」
 おれは、妻の話を聞いて、これまで得体の知れないものと思っていた呪という存在が、意外と制約が多く、不便なものだということを理解した。世の理を超越したような力かと思っていたのだが、案外論理的で、しがらみが多い。もちろん、妻が呪についてのすべてを語っているわけではないだろうが、それでも、呪という力が万能ではないということだけは理解できた。
「だったら」
 とおれは訊いた。
「このおれは、お前にとって、何なんだ?」
 おれの言葉に、妻はにっこりと笑った。
「前にも申したではありませんか。あなたさまは、わたくしの生涯の伴侶。わたくしは、生涯をあなたさまと共に過ごすつもりでおります。あなたさまも、わたくしを生涯の伴侶としてくれたのではないのですか?」
「それは、そうだが……」
「あなたさまは、わたくしの生涯の伴侶。これは、この先、どんなことが起ころうとも変わることはありません。どうか、これから先もわたくしを末永くおそばにお置きくださいますように」


 翌朝、小娘は9時前にタクシーで屋敷にやってきた。おれのお気に入りだった水色のワンピースを着ているのを見たときは、ざわざわと心が騒いだ。
 小娘の体――自分が1ヶ月もの間過ごしてきた体をこうして第三者の目から見るのは、何だか不思議な気分だ。
 改めて、おれの目で見る小娘は、とても小さかった。自分で認識していたよりも、小柄で華奢で、弱々しかった。やはり、鏡を見るのと、他人の目から見るのとでは、印象が違ってくるのだろうか。
 おれは小娘の姿を見ていて、それが自分だったときとは全然違う印象を与えていることに驚いていた。
 なんと言うか、小娘の姿を見て、おれが一番感じたことは、「意外にかわいくない」ということだった。
「何、旦那さま、あたしのことジロジロ見てるんですか?」
「い、いや」
 はっきり言ってしまえば、おれが毎日鏡の中に見ていた少女は、もっとかわいかった筈だ。それが、今、水色のワンピースを着ておれの目の前にいる小娘からは、「かわいい」という感じをあまり受けないのだ。
 もちろん、小娘は顔立ちは整っているし、小柄で胸はないが、スタイルもいい。着ているワンピースも、おれの一番のお気に入りだっただけあって、よく似合っている。間違いなく美少女と呼べるような姿だ。
 確かに美少女と呼べるような姿なのだが、何か足りない。おれがいつも鏡で見ていたほどの美少女ではないのだ。
 やはり、これは、おれの――おれのこの体の――好みに左右されているのだろうか。おれの体がもっと背が高くて胸の大きい女が好みなために、さほど、魅力を感じないのだろうか?
 それとも、中身がおれから小娘に変わったために、「かわいらしさ」が半減してしまったのだろうか。
 おれと妻と小娘の3人は、リビングに集まって、今後のことを話し合った。昨夜の地下の部屋とは違って、部屋には明るい日差しが差し込んでいた。
 まず、決めなければならないのは、小娘の今後の身の振り方だった。
 おれが小娘の体にいた1ヶ月間は、おれが「秘書」という立場で「社長」の体の小娘をフォローしていたが、あれは、小娘が社長の仕事の経験がなかったためやむなくしたことで、今後はそんな必要はない。小娘にしても、この1ヶ月間「社長」としてあごで使ってきた秘書たちに、下っ端として扱われるのは本意ではないだろうし、屈辱に感じることだろう。おれとしては、おれが味わったのと同じ気持ちを味あわせてやりたかったが、この1ヶ月のことはすべて水に流すということになっていたので、そういうわけにもいかなかった。
「取りあえず、今度奥様がうちの会社の役員になりますから、役員付きの秘書ということでいいんじゃないですか」
 小娘がそう言った。
「ちょっと待て。役員の話なんて、おれは聞いてないぞ。そんな話、いつ決まったんだ?」
 おれがそう言うと、小娘が、呆れた、という顔をした。
「先週決まったんですよ。旦那さまがいない間に。例の電機メーカーへ出向する役員が何人かいて、うちの会社の役員が足りなくなるから、奥様にお願いしようということになったんです」
「名前だけの形ばかりの役職ですが」
 と妻が言う。
「以前から、あなたさまからも言われていたことでしたので、引き受けたのですが、不都合ありましたでしょうか?」
 確かに、おれとしても、妻を役員に加えることは、以前から考えていたことだったので、そのこと自体に異論はない。おれの知らないうちに、それを勝手に決められたことが気に入らないだけなのだが、先週、勝手に会社を休んでしまっていたおれが文句を言えることでもなかった。
 結局、小娘は、体制上はこれまでと同じ秘書室所属で、役員(妻のことだ)付きの秘書として、この屋敷に出向扱いにすることになった。実質的な仕事は1ヶ月前までと同じこの屋敷の家政婦だ。1ヶ月前から雇っている通いの家政婦もこれまで通り雇い続けることにしたので、小娘的には、随分仕事の量が減ったことだろう。
 小娘が住む場所も、これまで通りこの屋敷の使用人部屋でもよかったのだが、名目だけとは言え、秘書ということで、屋敷の近くに適当なマンションを探して与えることにした。これは、小娘の要望というよりも、おれの方が小娘と顔を合わせる機会をなるべく減らしたくて言い出したことだった。もっとも、このことについて妻は、おれが愛人にするわけでもない名ばかりの秘書にマンションを買い与えるのは、小娘をレイプしたことに対する賠償のようなものだと考えているようだった。マンションが見つかるまでは、今のホテル暮らしということになる。
 ということで、明日から、小娘は、屋敷に10時過ぎに出勤して、妻の身の回りの世話をすることになった。出勤時間が遅いのも、なるべくおれと顔を合わせないようにするためだ。朝食の準備は、通いの家政婦に早めに来てもらって頼むことにした。その分、彼女の上がりの時間も早くなるので、夕食の準備は小娘が行なうことになる。一応、夜の7時までを小娘の勤務時間ということにしたが、これも、おれが屋敷に帰るよりも前に引き上げる、ということで決まった時間だった。
 次に、この1ヶ月間の小娘の仕事に対する報酬の話になった。
 小娘は、この1ヶ月、社長として仕事をしてきたわけだから、社長の給料1ヶ月分をもらう。まあ、これはいい。実際問題として、最初の頃はともかく、後半は面倒な仕事は全部小娘に押し付けていたのだから、仕方がない。最後の1週間などは、おれがいなかったため、小娘が本当に1人で社長の仕事をこなしていた。小娘としてはこれだけで、家政婦の給料の10年分ぐらいにはなるんじゃないだろうか。
 問題は、小娘が成功させた電機メーカーの経営委譲に対する報酬だ。おれは、それは社長の仕事の一部なのだから、別途支払う必要はない、と主張した。
「旦那さま、なんてケチなんですか。あたしのおかげであの電機メーカーが手に入ったんですよ。それなのに、その報酬がゼロだなんて。誰のおかげであの電機メーカーの社長になれると思っているんですか」
 何とでも言え。これは交渉なのだ。おれだって、鬼じゃないから、小娘に対して、経営委譲提案の成功に対するボーナスぐらい出してやってもいいとは思っている。実際に、経営委譲提案で行くという決断を下したのは小娘だし、女社長に経営者として認めさせて、IT企業の賛成を取り付けたのも、小娘だ。だが、最初からそれを口にして、白紙小切手を切るようなつもりはない。
 大体、M&Aを専門に扱う会社への成功報酬は、巨額に上ることが多い。M&A自体が巨額の利益を生み出すものだからだ。この電機メーカー自体は中堅どころだが、例の大手家電メーカーに影響力を行使することができる会社として、業界トップクラスの大企業並みの評価を受けている。こんな企業の買収をM&Aの専門会社に依頼したら、いくらかかるかわからない。
 今回の場合は、買収ではなく、経営権の委譲だから、そこまで莫大な金額になることはないだろうが、それにしても、その数字を基にして小娘へのボーナスを決めると、やはりとんでもない金額になってしまう。
 金額に関してのすったもんだがいろいろあったが、最終的には、何とか合意に達した。支払い方法も、手付けとして最初に全体の1割が支払われ、来月に予定されている電機メーカーの株主総会で経営委譲提案が承認された時点で全体の4割。その1年後の株主総会を経てもおれの会社が経営権を得ていたら、残りの5割を支払うということに決まった。全部を合わせると、小娘が家政婦をして得る一生分の給料を上回るような額になった。
 妻は昨夜、小娘が侍女となる代わりに、彼女のことを生涯面倒を見ると約束したと言っていたが、この時点で、妻の義務は果たされたも同然だろう。
 あとは、お互いの情報交換。
 おれは、この1週間――いや、2週間に会社であったことを小娘から聞いた。
 さっきの妻の役員入りの話にしてもそうだが、おれの知らないうちに、多くのことが決められていて、戸惑うばかりだ。特に、電機メーカーの経営委譲絡みで異動が多く、社内の体制がかなり変わっている。
 更に、電機メーカーの案件が一段落したということで、社内では新たな買収計画がスタートしていた。今度は老舗の食品メーカーだ。海苔やら漬物やらを昔ながらの製法で作っている老舗と言えば聞こえはいいが、要は機械化は遅れているということだ。当面は、こういった機械化が進んでいない古いメーカーを中心に買収を進めるのを基本戦略としていた。こういう老舗の会社は、規模の割りにネームヴァリューもあるし、古いだけあって、思わぬ資産を貯め込んでいることもあるので、買収する側から見たら、旨みが大きいのだ。もちろん、おれの会社の本業である機械メーカーとしても、新しい工作機械を導入して、売り上げを伸ばすというメリットもある。
 この戦略自体はおれが社長でいる間に決めてあったことだが、最終的に買収にゴーを出したのは、小娘だ。電機メーカーの買収の際に予備的な意味で取っておいた資金もつぎ込めるし、電機メーカーの経営委譲によっておれの会社の株価が上がることを当て込んでの融資も取り付けてあるので、買収資金は潤沢にあった。
 あとは、以前からの通常業務のことなども一通り小娘に説明させたが、まだ全体を把握しきれていない気がする。
「なあ、取りあえず、明日は社長付きの秘書として、フォローしてくれないか?」
 この分だと、明日の仕事にも支障が出そうだと感じたおれは、小娘にそう頼んでみたが、つれなく断られた。
「何言ってるんですか、旦那さま。あたしは、奥様付きの秘書ってことに決まったばかりじゃないですか。大体、旦那さまが、ずっと会社さぼってたからこんなことになっちゃうんですよ。そこはちゃんと反省してもらわないと。取りあえず、変更事項や決裁事項は、全部メールで報告されていますから、ここ2週間分のメールに目を通しておいてもらえますか。その上で、質問があったら、答えますから」
 酷い言われようだ。最後には、そんなことを言われて、小娘からの引継ぎは終了となった。2週間分の社長宛のメールにすべて目を通して状況を把握するなんてことは、気の遠くなるような作業だが、これから社長業を再開するためにはやるしかない。
「さて、旦那さまからあたしへの引継ぎはどうなっているんですか?」
「特にはない」
「ないって、そんわけないでしょ。1ヶ月もあたしの体を使っていたんですよ。何もないわけないじゃないですか」
「しかしだな、お前は今後、この屋敷で妻と一緒にいるわけだろう? 会社に行くこともないんだから、秘書たちや他の会社の人間と会うこともない筈だ。この1ヶ月間とは行動範囲がまったく違うんだから、特に引き継ぐことなんてないだろう」
「会うことはなくても、電話はかかってきますよね。あ、そうだ。秘書用の携帯とかもらってないんですけど」
「あれは、廃棄だ」
 あのピンクの秘書用携帯には、イケメン秘書の番号やメールアドレスが登録されている。あんなものを小娘に渡すわけにはいかない。
「秘書用の携帯が欲しいのなら、新しいのを発行するよう、言っておく」
 そう言って、強引にこの話は終わらせた。終わらせないと、話がイケメン秘書のことになりそうで怖かったのだ。小娘はともかく、妻のいる前で、彼のことを話すなんて、おれにはできそうになかった。
 当面は、入れ替わっていた1ヶ月間のことが原因で困ったことが起きたら、すぐにお互いに連絡する、ということにして、その日は散会となった。
 小娘は、水色のワンピースを着てどこかへ出かけていき、おれは、妻を連れて、高級焼肉店に食事に出かけた。とにかく、無性に肉が食べたかったのだ。こんな気持ちになることは、昨日までだったら絶対にないことだった。妻と2人で5人前ぐらい注文して、そのほとんどをおれが食べた。同時に、生ビールをジョッキで何杯も流し込む。小娘の体はアルコールを受け付けなかったので、酒を飲むのは1ヶ月ぶりだ。うまい。
 肉だけでは足らずに、クッパやらビビンバといった御飯物も平らげる。昨日までの体だったら、1週間分ぐらいの量だ。妻は、適度に食べて、デザートにアイスクリームをおいしそうに食べている。試しに1口もらったが、やはり、今のおれの舌には甘すぎた。飯や酒がうまいのは歓迎だが、デザートが甘すぎて食べられないというのは悲しかった。トータルで、どちらがいのか、と言われると、微妙なところだろうが。
 その後、妻の買い物に付き合う。一緒に洋服や鞄を見ていても、時々「おれに似合いそう」と思ってしまう。だが、それは、「昨日までのおれに似合う」ということで、今後、こういう服を着ることはないのだということを思い出し、少し落ち込んだ。
 屋敷に戻ってからは、小娘に言われたように、ここ2週間ろくに見ていなかった社長宛のメールに目を通す。久しぶりだったので、勘が戻らず、なかなか進まない。当たり前の話だが、複数の仕事が同時進行で発生しているので、頭が混乱する。1つ前のメールとの関連を思い出すために、前に戻って再読が必要になるため、なかなか仕事がはかどらない。
 そうしている間にも、股間のものが自己主張を始めたので、おれは、妻を抱いた。昨夜みたいに記憶が飛んでしまうようなことはなかったが、まだまだこれが自分のものだという気持ちにはなってこなかった。
 夕食は、出前のピザを取った。ラージサイズを2枚。妻と一緒だったが、ほとんどおれが食べた。夕食後はまたメールに目を通し、途中で妻を抱いた。その後も深夜までメールと格闘したが、すべてを読み終えることはできなかった。
 おれは、今日中に片付けることをあきらめた。パソコンの電源を落とし、スコッチを少し飲んで、もう一度妻を抱いてから寝た。

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